師と同じ道を歩むか稀勢の里
あら、タイトルが川柳になってしまった。
久しぶりの本場所総括でございます。
この夏場所、とくに序盤から中盤にかけては、伊勢ヶ濱から二所ノ関へと長が代替わりした審判部に翻弄された感が残ります。
言わずもがな、立合正常化の名の元に行われた手着き判定の厳格化のことを指します。
力士に対しては、場所の直前に開催される力士会に審判部長と副部長が乗り込むという形での一方的な宣告でしたので、すでに立合の形を整えていた力士側が再調整する時間はありませんで、立合不成立が続発する事態を招いたのは当然のことだと言えるでしょう。
また、立合判定は正面に座る審判長と行司によって厳格度合の差がかなりあり、行司を含む審判部の中における意識合わせも不十分だったのではないかと訝しく思われても仕方のない判定が続きました。
いみじくも、現審判部長である二所ノ関(元・若嶋津)の師匠である初代若乃花(当時の二子山理事長)が立合正常化に臨んだ際は、罰金を伴うなど今より厳しい姿勢であったかわりに、講習会を開催し、力士だけではなく行司と親方も含めた形で、自ら土俵に降りて直接に指導したものです。
二所ノ関審判部長は師に倣ってのことことだと発言の端々に含めるならば、講習会などの事前の手当ても師に倣ってほしかったです。
終盤に入り、力士・行司・勝負審判の三者間での意識合わせと力士側の立合調整に折り合いが付いたのか、立合不成立は減っていきました。
しかしながら、あくまでも合気の立合が目指すべき到達点であり、手着き指導はその介助手段でしかありません。
手着き充分でも合気となってない立合もあるのですから、目的と手段を取り違えないで頂きたいものです。
ただ、それでも手付き判定の厳格化は合気ずらしを可能とする時間幅を短くするので、厳格化が強まるにつれ、張り差し一気に寄り切られる相撲や、変化で脆くも落ちる相撲は減っていくでしょう。観る側としては来場所も立合正常化への取り組みを緩めることなく強化してほしいと思ってます。
左(右)拳を先に着いておき、立つ際に右(左)を降ろすのと入れ替えに左(右)張り右(左)差しであるとか、斜に構えて着き手を相手力士の視点から隠すとか、取り締まってほしい立合策はまだまだたくさんありますのでね。
全勝優勝した白鵬については完全に見損なってました。
(注:見損なっていた=力とか価値などが明々白々に有るのに見誤ってたよゴメンナサイという意味合いです。故・五代目立川談志師匠の言によると一般的に批判形で使われている「見損なった!」は誤用だそうです。)
うーん、稀勢に右上手を許しながら左下手投げを駆使して転がしたり、日馬に左上手アタマを着けられる姿勢を許しながら盛り返したり、鶴竜に右四つがっぷりから寄り立てられたところをうっちゃったり、そんなことが出来る底力がまだ有るなんて思ってもみませんでした。
やー、驚きましたし、感嘆するほかありません。最後の三日間はね。
あの3日間の相撲を観てしまいますと、初日から十二日目までの巧妙な合気ずらしを常套手段とする省力相撲の数々は、いったい何だったのかと思いますわな。
とくに白鵬と稀勢が全勝で競り合った結果プラチナチケット化した終盤戦は国技館で観ること叶わずに、序盤中盤の平日に国技館へ出向いていた観客は。
白鵬が勝率8割を超える中で勝利という結果を得ることのみに腐心するから、観客は「あの白鵬が負けた」という事件でしか感動を得られなくなり、その欲求不満が相手力士へのコールという形になって現れ、それを受けた白鵬が不貞腐れて更なる省力相撲で勝って観客の溜息を誘う…。
この悪循環を断ち切ることができるのは白鵬自身しかいないのですが、あの大阪場所の大荒れの千秋楽を経ての今場所、しかも全勝優勝ですから、来場所に白鵬の姿勢があらたまることはまず望めないのでしょうね。
白鵬はいったいどこへ向かっているのでしょう?
さて、贔屓にしている稀勢の里ですが、今場所の稀勢の里につきましてはすでに記事を起こしてしまっているのであまり文字を費やすことはしませんけれど、横綱の格が備わったと診てます。
2場所連続で大関以下に無敗の13勝2敗という成績はもとより、相撲内容も先場所より向上し、失敗りは十四日目の鶴竜戦のみ。
とくに左をガッチリ固めての立合で右四つ力士の右差しを完封したことは脇の甘さを指摘され続けてきた歴史を考えれば特筆すべき点です。
もういつでも横綱になってよいと思うのですが、優勝しないと横綱にはなれない。(北尾がわるい)
来場所の名古屋での初優勝を切に願っております。
思い起こせば、稀勢の里を育てた元・隆の里の先代鳴戸も30歳になる年に準V(12勝)⇒準V(13勝)⇒全勝優勝で横綱に昇進しています。
準V(13勝)⇒準V(13勝)ときている稀勢の里。名古屋で全勝優勝し、師と同じ道程を辿る運命であることを信じます。
今場所の照ノ富士、とうとう休場せず、かといって相撲内容に回復の兆しが見えるでもなく、大関の13連敗という大相撲史上ワースト記録を更新してしまいました。
「出れるのだから出る」と師弟ともに言うのですけど、終盤はほとんどカカシ同然の状態で、対戦力士にケガをさせない気遣いをされてしまうような力士を大関でございと土俵に上げることは観衆に対する裏切りでしかありませんし、もし優勝戦線に絡んだ力士たちの対照ノ富士戦を他の力士に振り替えていたら、終盤戦の展開が違っていたかもしれません。
興業を白けさせないためにも、力士生命をなるべく長く保つためにも、出場・休場の選択を力士本人と親方に任せるだけではなく、第三者によるメディカルチェックの必要性も感じましたし、それに伴う公傷制度も必要だと思います。
これは初場所のインフルエンザ過にも関連する話になります。
他の横綱と大関はそれぞれの役割を果たすだけの相撲は取れていたと思いますので割愛しまして、関脇以下に目を移しましょうか。
まずは新小結の地位で勝ち越し、来場所の新関脇が確定した魁聖。
元来の右四つの大きな相撲に重さが加わり、土俵際の逆転を許さなくなりました。宝富士の左四つレベルの安定感を得られる日も近いであろうと期待してます。
次に贔屓どころで高安。西の五枚目での9勝6敗という成績も相撲内容も今ひとつかと。とくに劣勢になってからの粘りが少なく、まだ脚まわりが万全にならないのかなぁと心配はしているのですが、相変わらず「痛い」と言わないのでモヤモヤするばかり。来場所は役力士と総当りする番付に上がって真価が問われますから、脚まわりをしっかり治してほしいです。
三賞で栃ノ心に技能賞が授与されたことは、「該当なし」が定番だった技能賞の選考に転換を与えるかもしれません。
と、申しますのは、審判部副部長である元・武双山の藤島が「栃ノ心の吊って寄る相撲は充分に技能賞に値する」と述べたことにあります。
そう、技能賞という名でありながら、どのような技能を評価されての授賞なのか、今まで語られたことがほとんど無かったのです。
今回の栃ノ心は対蒼国来戦の相撲が評価されての授賞でありましょう。こういう技能賞の授賞こそがあるべき姿です。
あとは二桁勝ち星にこだわることなく、9勝でも8勝でも、特筆すべき相撲の技芸を見せてくれた平幕力士に対して技能賞を授与してくれるようになれば、何も言うことはありません。
来場所以降の三賞選考に注目したいと思います。
ほか、琴勇輝、御嶽海、遠藤、松鳳山、蒼国来については書きたいところも多々あったのですが、またの機会とさせて頂きます。
ここで書くべきか迷いましたが、深夜場所について少し書いておきます。
深夜場所=翌日未明の4時またぎで放映されるNHKの大相撲ダイジェスト番組のことですが、どうも今場所は納得のいかない編集が目立ちました。
代表例1。三日目の日馬富士vs逸ノ城。
長い相撲になったわけですが、逸ノ城が巻き替え両差し日馬外四つになった所から、両者右四つがっぷりの所までの間をカット編集。組手の変遷を追えないでは相撲を観たことになりませんよ。
代表例2。千秋楽の日馬富士vs稀勢の里。両者が腰を割るところがカット編集されて、稀勢が片手を着いた状態からしか観られなかった。蹲踞から立つ、立ち位置を決めて腰を割るというところも映してもらいませんと。
また、今場所は立合不成立が多かったわけですが、不成立となった立合もダイジェストに含めて頂きたいものです。
仕事で平日の取組をライブ放送で観ることが叶わない身としては、深夜場所の充実を望みます。そもそも30分では短いのではないでしょうか?
ともあれ、楽しめた夏場所でした。
名古屋場所は明々白々に稀勢の里の綱取り場所。今から楽しみです。
いつもながらまとまりを欠きましたが、以上をもって夏場所の総括といたします。
Pingback: 大相撲ルーチンはどこまでなら許される? | 甚之介の剣道雑記帳2