16WKCの観点

16WKC ロゴマーク

今月29~31日はいよいよ第16回世界剣道選手権大会(以下、16WKC)ですね。
その16WKCについて取り上げた産経の記事がウ~~ン↓だったことに危機感を覚え、ちょいと書いておこうかと。

産経の記事は引用する気にもならないのでリンク先を参照して頂くとしまして、まー、その内容があまりにも表層的すぎるのと、普段から嫌韓色の濃い産経の記事傾向が悪い方に出て、勧善懲悪ならぬ勧日懲韓の期待を煽る内容だったことに眉をひそめてしまったわけですよ。

ただ、全国紙である産経があれを書くということは、その主張するところが相当数の読者ニーズに応えてのものであろうことは明らかなので、それを踏まえた上で16WKCの観点を整理してみたいと思います。


まず参加国数について認識して頂きたいのですが、16WKCには56の国と地域が参加します。
この参加国数は前回大会の48カ国を超えてWKC史上最多ではありますが、五輪競技である柔道における世界柔道(2014)に110の国と地域が参加しているのと比較すれば、剣道の国際普及がまだまだ道半ばであること、ご理解頂けるかと思います。

国際普及が行き渡った上での世界大会であるならば、純粋に世界一を決める競技大会として観戦すればよろしいかと思いますが、本気で優勝を狙い、その可能性を自他ともに認められるのは、日・韓・米の3カ国に限られているというのが現状です。

その観点では準決勝以降しか観る価値がない大会になってしまいますから、それでは世界大会を開催する意義や観戦する価値は半減してしまうでしょう。

とは言いながらも16WKCは競技大会ですから、それを競技として見ないというのも無理かつ不自然なものであります。

なので、試合競技として観戦しつつも、その中で展開される攻防から剣の理を嗅ぎ取り、そこから各国の剣風を感じることができたなら「日本からどのように伝搬してその剣風に至ったのかな?」というような興味が湧き始め、勝ち様や負け様、所作事などに観点が多岐に分散して、勝ち負けに関係なく有意義な観戦になるのではないか? と愚考するのですがいかがなものでしょう。

とくに、欧州においては日本より所作事が行き渡っている事例をよく耳にしますので、各国選手の剣道に取り組む姿勢を垣間見て「日本人の俺がこんなではいかんなぁ」と自省の念に駆られるやもしれません。

日本の剣道も、競技としての高度化と武道としての本分維持の両立が揺らいでおりますから、16WKCはそれを第三者的視点で俯瞰するきっかけになるかもしれません。いずれにせよ複眼的な観点を得たいものです。


さて、韓国の件について書いておきますが、私は韓国の問題点より先に日本の剣道界およびFIK(国際剣道連盟)の取り組み不足を懸念しております。おそらく今回の韓国選手団も、袴に似て袴と異なる袴モドキを着装することを代表例とする異装や、力押しに過ぎるツバ競り合い、日本色の強い礼法への拒絶姿勢…などといったものが目に余ることになり、前出の産経記事を後押しすることが起きることほぼ確実とは思います。

けれども、それを許しているのは試合規則の不備であり、FIKの指導力不足であり、全剣連を筆頭とする日本剣道界のコムド対策の甘さ、こういったものが原因です。

あの袴モドキがNGであるならばそれを禁止する試合規則にすればよろしく、ツバ競り合いにおける反則行為を日本国内同様に取り締まるようFIKが指導すべきであり、GAISF(現・Sports Accord)入りにより剣道がIOCのお墨付きを得た時点からコムド排除を推し進めるべきだったものを、それらが不十分なまま韓国を批判するばかりでは何も先に進みません。

韓国の不作法や勝利至上主義を批判する前に、ではそれにどう対応すべきかを考えるのが、剣道の宗主国たる日本の剣道関係者の為すべきことだと思います。

また、それら対策を日本主導で行えるのは、競技力を含む全ての面で日本が世界一であるうちしかありません。
それは、競技力で凌駕され、競技人口でも凌駕されての柔道とJUDOの乖離が雄弁に物語ってますよね。日本代表に必勝を強いるのは16WKCを最後にすべく、日本剣道界全体で剣道の国際普及について本気で考え、取り組んでほしいと心より願ってます。


最後に、結果に関わらず必ず起きるであろう審判批判に釘を刺しておきたいと思います。
これとは別に、審判批判の起きない大会は無いと言って過言ではない昨今の風潮、いかがなものかと憂いております。

まず最初に「審判に勝負を委ねられないのであれば、剣道の試合など観るのもやるのもおやめなさい」と言っておきます。

野球やサッカーなどのメジャースポーツの例を出すまでもなく、柔道やフェンシングなどの五輪競技に含まれる格闘技系スポーツも含めて、得点ポイントの判定基準は物理的なもので構成されますが、剣道の場合は1本の要件として「充実した気勢」「適正な姿勢」「残心」といった審判の主観に委ねるほかない判定基準が多分に含まれるわけですよ。

有効打突の要素と要件

有効打突の要素と要件

さらに1本の事実上の第一要件である「打突」さえも、フェンシングのようにニュートン単位で強さが規定されているわけではありませんから、強弁を承知で言えば、剣道形のような「寸止め⇒残心」さえも1本に認めることが可能な要件定義でしかないのです。

これらのことを前提にするならば、ビデオやカメラでの確認を元にして(一本が)入ってた/入ってなかったと論じることが全く意味を為さないと言えるでしょう。審判が1本と認めた打突が1本であり、そうでないものは1本にあらず何かが足りない、そう腹をくくるほかありません。

ただし、同じ試合、あるいは同じ大会の同じ部門で、ある一定基準を満たす打突が1本になったりならなかったりとブレを生じる場合、これは審判が公正を保証していないことになりますから、批判されて然るべきかと思いますけれども、実は審判(というよりは審判団)の出来不出来は、大会を通して公正さを維持できるか否か、この点にかかっているのです。

その意味では16WKCで審判を務めることは全日本選手権で審判を務めることより難しいとさえ言えましょう。

全日本は各都道府県の予選を勝ち抜いてきた選手による試合ですから、各選手各試合のレベル差が非常に小さく、あまり意識せずとも判定の公正さを保てるものと思います。

しかし16WKCは、日韓米のトップグループと、欧州・南米・環太平洋のミドルグループ、そして新興国グループに分けたとき、グループ間のレベル差が本来であれば部門を分けて大会を実施すべきと思うほどにとても大きく、その中で1deyトーナメントにおいて公正さを保つことは至難の業です。

新興国から単身出場した選手がラッキーヒットした打突に対し、ついつい旗を上げたくなるのが人情というものですし、日本代表選手があきらかに格下の選手と試合した場合は完璧な一本を求めたくなるものですが、審判がそれをしてしまっては公正ではなくなってしまい、国際競技大会の審判としては大失格。

極論、新興国同士の試合と、日韓あるいは日米による頂上決戦が、両方ともに試合として成立する同じ1本の重さで判定しなければ公正とは言えないわけでして、これがどれほど難しいことなのか、審判批判を口にする前に慮って頂きたいものであります。

なお、16WKCを日本の判定基準で観ると少々の違和感を生じるかと思いますが、それは県境を跨いだだけで感じるそれの国際版と考えれば、吸収できるものではないでしょうか。
いずれにせよその判定基準は、日本で開催した審判研修会で日本主導により練られたものでありますから、諸外国の選手が感じる違和感以上に大きいものではないはずです。

こういった判定基準の柔軟性をよしとせずに高度競技化を進めていくのか、武道としての本分維持を最優先にして競技性の高度化に慎重であるべきかについては、16WKCをしっかり観た上で大会後にご議論を頂ければと思います。


滔々と述べてしまいましたが、実は16WKCの観戦が決定できていない私です。
土日はすでに埋まっているので、観戦するなら初日の29日なのですが、現在はその29日を空けるべく、仕事に邁進しているところであります。A^^;

16WKCの成功と、日本選手団ならびに各国選手団のご健闘をお祈りし、ひとまず筆を置きます。




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Comment (1)

  1. Pingback: WKC審判問題は構造的なもの | 甚之介の剣道雑記帳2

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