東の正横綱は角界の鏡

夏場所総括でございます。

夏場所は白鵬の全勝優勝で幕を閉じましたが、全勝優勝のかかる場所の終盤で感じるはずのピリッとした緊張感は感じられず、むしろ終盤における相撲内容の枯渇は著しいものがありました。

序盤から中盤にかけての幕内における相撲内容は、私が贔屓する力士がことごとく黒星を積み重ねたことはさておき、それでもなお称賛するほかないほどに充実したものがあって大いに楽しみましたけれども、終盤に入るや「これが同じ場所か?」と自問してしまうくらいに相撲内容がスカスカになったのはなぜか?

そう考えたとき、その分水嶺に稀勢の里の休場があることに気付きました。

稀勢の里は11日目を不戦敗として千秋楽まで休場しましたが、この日を境に幕内全体の相撲内容が枯渇していくのですね。

休場するまでの稀勢の里は、左が使えない状態での強行出場ながらも、正攻法の立合で対戦相手の当たりを真正面から受け止める愚直なまでの横綱相撲を貫き、その姿が土俵3周分の懸賞幕と拍手喝采によって讃えらる日々でした。

それは幕内力士の範となり、合気の立合から自分の相撲を取りきろうとする意識が連鎖的に伝搬しての序盤から中盤にかけての充実した相撲内容だった…のかもしれません。

ところが、その模範だった稀勢の里がとうとうパンクして休場。
で、賜杯争いの単独トップはといえば、合気とは真逆の立合で淡々と勝利を重ねる白鵬。

こうなりますと、範は稀勢の里から白鵬へと移ります。
なにせよ平幕力士は白星1つ黒星1つで来場所の番付が変わる身の上ですから、相撲内容云々の前に白星を最短距離で得ることのみに集中することで結果を出している白鵬はこれ以上ない規範になります。

その結果が、立合の駆け引きが当たり前のように横行し、注文相撲が増え、組まずに引きや叩きで勝負が決まり、土俵際でも粘らない、そんな相撲が連鎖的に蔓延しての終盤戦であった…と言っては過言でしょうか?

以上、この夏場所で得た仮説「東の正横綱は角界の鏡」であります。
夏場所は10日目で鏡が割れたということです。

その仮説の立証は稀勢の里の復調にかかっておりますので、稀勢の里にはなんとしても名古屋場所で完全復活してほしいと願ってます。

あ、時間切れ。続きは明日。




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