WKC審判問題は構造的なもの
韓国の仁川にて開催された17WKC(第17回 世界剣道選手権大会)は、日本代表が全部門優勝を飾って閉幕しました。日本代表選手の皆様、おめでとうございます。おつかれさまでした。
その17WKC、男子団体決勝の大将戦を筆頭に色々と物議を醸すものがありましたけれども、審判および判定の問題につきましては構造的なものだと思っております。
日本代表の試合については全剣連YouTubeチャンネルにUpされております。
全剣連HPのこちらのページで各試合への動画へのリンクが整理されており、とても追いやすいのでオススメです。
で、リアルタイムのネット配信で観戦できず、上記にUpされた日本代表選手の試合しか観ていないので確定的なことは申せないのですが、おそらくは批判の的になるであろう審判および判定の問題については、16WKCのときに書いた記事からそのまま引用すれば事足りると思いますので、以下に再掲いたします。
『16WKCの観点』(2015/8/5)より部分引用
最後に、結果に関わらず必ず起きるであろう審判批判に釘を刺しておきたいと思います。
これとは別に、審判批判の起きない大会は無いと言って過言ではない昨今の風潮、いかがなものかと憂いております。まず最初に「審判に勝負を委ねられないのであれば、剣道の試合など観るのもやるのもおやめなさい」と言っておきます。
野球やサッカーなどのメジャースポーツの例を出すまでもなく、柔道やフェンシングなどの五輪競技に含まれる格闘技系スポーツも含めて、得点ポイントの判定基準は物理的なもので構成されますが、剣道の場合は1本の要件として「充実した気勢」「適正な姿勢」「残心」といった審判の主観に委ねるほかない判定基準が多分に含まれるわけですよ。
さらに1本の事実上の第一要件である「打突」さえも、フェンシングのようにニュートン単位で強さが規定されているわけではありませんから、強弁を承知で言えば、剣道形のような「寸止め⇒残心」さえも1本に認めることが可能な要件定義でしかないのです。
これらのことを前提にするならば、ビデオやカメラでの確認を元にして(一本が)入ってた/入ってなかったと論じることが全く意味を為さないと言えるでしょう。審判が1本と認めた打突が1本であり、そうでないものは1本にあらず何かが足りない、そう腹をくくるほかありません。
ただし、同じ試合、あるいは同じ大会の同じ部門で、ある一定基準を満たす打突が1本になったりならなかったりとブレを生じる場合、これは審判が公正を保証していないことになりますから、批判されて然るべきかと思いますけれども、実は審判(というよりは審判団)の出来不出来は、大会を通して公正さを維持できるか否か、この点にかかっているのです。
その意味では16WKCで審判を務めることは全日本選手権で審判を務めることより難しいとさえ言えましょう。
全日本は各都道府県の予選を勝ち抜いてきた選手による試合ですから、各選手各試合のレベル差が非常に小さく、あまり意識せずとも判定の公正さを保てるものと思います。
しかし16WKCは、日韓米のトップグループと、欧州・南米・環太平洋のミドルグループ、そして新興国グループに分けたとき、グループ間のレベル差が本来であれば部門を分けて大会を実施すべきと思うほどにとても大きく、その中で1deyトーナメントにおいて公正さを保つことは至難の業です。
新興国から単身出場した選手がラッキーヒットした打突に対し、ついつい旗を上げたくなるのが人情というものですし、日本代表選手があきらかに格下の選手と試合した場合は完璧な一本を求めたくなるものですが、審判がそれをしてしまっては公正ではなくなってしまい、国際競技大会の審判としては大失格。
極論、新興国同士の試合と、日韓あるいは日米による頂上決戦が、両方ともに試合として成立する同じ1本の重さで判定しなければ公正とは言えないわけでして、これがどれほど難しいことなのか、審判批判を口にする前に慮って頂きたいものであります。
なお、16WKCを日本の判定基準で観ると少々の違和感を生じるかと思いますが、それは県境を跨いだだけで感じるそれの国際版と考えれば、吸収できるものではないでしょうか。
いずれにせよその判定基準は、日本で開催した審判研修会で日本主導により練られたものでありますから、諸外国の選手が感じる違和感以上に大きいものではないはずです。こういった判定基準の柔軟性をよしとせずに高度競技化を進めていくのか、武道としての本分維持を最優先にして競技性の高度化に慎重であるべきかについては、16WKCをしっかり観た上で大会後にご議論を頂ければと思います。
以上の引用文の16WKCを17WKCに置換すればそのまま使えると思いますが、要するにWKCの審判および判定問題は審判個人の資質の問題よりも構造的な問題であり、今のままの形態でWKCが開催される限りはこの状態が続くでしょう。
引用文の中でも述べておりますが、剣道の競技特性と各国の競技上の実力差を考えますと、2~3部門にクラス分けし、下位クラスのベスト4が上位クラスのトーナメントに進出する等の方式が望ましいように思います。皆様はいかがお考えになりますか?
Pingback: 審判資格制度が必要かと | 甚之介の剣道雑記帳2
コメント失礼いたします。
もう以下の三文のコピー、これに尽きると思います
特に第一文です。最高だと思います。
以下コピー
まず最初に「審判に勝負を委ねられないのであれば、剣道の試合など観るのもやるのもおやめなさい」と言っておきます。
これらのことを前提にするならば、ビデオやカメラでの確認を元にして(一本が)入ってた/入ってなかったと論じることが全く意味を為さないと言えるでしょう。審判が1本と認めた打突が1本であり、そうでないものは1本にあらず何かが足りない、そう腹をくくるほかありません。
ただし、同じ試合、あるいは同じ大会の同じ部門で、ある一定基準を満たす打突が1本になったりならなかったりとブレを生じる場合、これは審判が公正を保証していないことになりますから、批判されて然るべきかと思いますけれども、実は審判(というよりは審判団)の出来不出来は、大会を通して公正さを維持できるか否か、この点にかかっているのです
以上コピー
まして
いつも思うことですが、
審判の方々は、色んな試合において、
その場の観客、選手、指導者のみならず、
他の審判、師範の方々、果てはメディアにまで
批判されることを覚悟して、審判を務められていると思います。
剣道では特にですが、
その競技を自分でおやりになり、稽古に稽古を重ねて
その世界で名を成した方が多く審判をされています。
(世界の柔道では未経験者審判すらいると聞きます。)
自分の勝った負けたで批判されるのでなく
第三者の立場で、批判されるお立場におられるのです。
審判批判などされる方は
もっと、この点をよくよく考えたうえで
批判されるべきだと思います。
御自分が審判をなされるときに当てはめたら
そうやすやすと審判批判などできません。
だから一文目が最高だと思いました。
YSさん、こちらにもコメントありがとうございます。
審判問題は実に難しいのですが、審判をなさらない人の方が舌鋒鋭く批判されるケースがとくにネット上では多く、閉口すること間々あります。
先日の記事でも述べましたが、審判個人の努力も必要ではあるものの、審判資格制度を含む、審判技術の集約と普及を促す体制が剣道には不足していると思ってます。
それはともかく、明日も審判。
口ほどにもないな と言われないようにガンバリマス。A^^;