定型の強み

言わずもがな、この2月はプロ野球の開幕前のキャンプ期間であり、公式戦どころかオープン戦も行われておりませんが、新聞、雑誌、テレビなどの各メディアはプロ野球に少なからぬ報道枠を割り当ててますよね。不思議に思いませんか?


私は水島新司先生の漫画に(良くも悪くも)洗脳されていた世代ですのでプロ野球キャンプ情報はもちろんウェルカムなのですけれども、関心を集めるプロスポーツが実質的にプロ野球だけだった昭和の昔ならともかく、今はサッカーJリーグを筆頭に様々なプロスポーツがあるのですから、OFFシーズンの舞台裏取材で得た情報は開幕後に活かすためのストックとして溜め込み、限られた報道枠をシーズン中のスポーツに割り当てるべきだと思いますし、視聴者ニーズも潤沢にあると思うのです。

が、そうはならない。なぜか?

Twitterあたりには既得権益が云々といった陰謀論めいた話も流れてきますが、その要素はゼロとは言わないけれども主因ではないと思うのですね。

おそらくは定型の持つ強みだと思うのです。


例えば毎年2/1はプロ野球キャンプインの日であります。
キャンプ地では歓迎式典が設けられ、各自治体のPRの場として確立してます。

○○選手が特打ちで○○○本のうち○○本を柵越えしました。
○○選手が○○○球を投げ込みました。
○○選手がコンバート後の新守備位置で特守に汗しました。

挙げていけばキリがないのですけれども、これらは実はなーんも意味するところの無いニュース価値ゼロの情報です。どのチームも約半年という長い期間を見据えての調整なのですから、キャンプ中の好調も不調も調整過程のものですからね。

開幕に間に合わないような故障や調整遅れが発生したなら、それは本来の意味でのニュース価値が生まれますけれども、せいぜいそれくらいのものですよ。

しかし、なぜそんな無価値な情報をメディアが報じるのかと言えば、それこそONの時代からの積み重ねにより定型化した報道の形がガッチリと出来あがっていて、その定型に沿って報道することが非常に楽に紙面や尺を埋める上に、間違いもトラブルも起きにくいからです。その安定ぶりは、野球のやの字も知らない入局したての女子アナでもキャンプリポートが務まるレベルと言えば伝わるでしょうか?

それでいて一定の購読数や視聴率を見込めるのですから、これはなかなか捨てられるものではないでしょう。

とはいえ、いつまでもプロ野球報道に頼っていてはジリ貧を迎えること明白ですから、メディアの側にも葛藤はあると思うのです。

それを見越し、メディアにもっと報道してもらいたいスポーツの全国組織などが、定型報道を構築するための定型を提供すべきだと思います。


その成功例としては、大相撲を挙げることができます。

奇数月は本場所興業があり、1・5・9月は東京、3月は大阪、7月は名古屋、11月は九州と、相撲人気の盛衰に関係なく定まってますから、この時点ですでに年中行事としてのニュース価値が確立してます。

手前味噌になりますが、11月3日の全日本剣道選手権大会も同じことが言えます。
プロ興業でもないマイナー競技の大会でありながら、ようやくにして剣道関係者以外にも「11月3日=文化の日は全日本剣道選手権大会の開催日である」ということが浸透してきました。あとは俳句の季語になればしめたものです。

対して、Jリーグのように1シーズン制と2シーズン制を往復したりしていては、定型になり得ません。W杯や五輪等の影響もあるでしょうが、興業の形をガチっと固め、少なくとも10年単位で継続しなければ定型化しないでしょう。


そして専門用語の整理統一と普及を図らなければなりません。それはラジオでの実況が可能であるか否かで判断できるかと思います。

まず大相撲の場合、
「蹲踞から立ちあがって足の位置を決めた稀勢の里、先に腰を割って両拳を着いてます。遅れて白鵬が腰を割って左を着いて、さぁ立合。両者アタマで当たって差し手争い、稀勢の里左を浅く覗かせると白鵬嫌って突き起こすや右に開いて突き落とし、稀勢の里足を送って堪えると向き直って左差し、腕を返して赤房に寄りつつ右上手を引いてなおも寄り、土俵際堪える白鵬を最後は腰を落として寄り切りました。稀勢の里は全勝で千秋楽、白鵬2敗に後退。」
といった具合に実況の定型が出来上がってます。

これをリアルタイムに実況するには名人芸的な滑舌とアナウンス技術が要りますけれども、文字に起こすなり、録画映像に実況を吹き込むなりする際には、定型に従いさえすれば困難は起きません。

上記実況の中でのキーワードは「立合」「差し手争い」「突き落とし」「赤房」「右上手を引く」「土俵際」「寄り切り」「千秋楽」といったあたりになりますが、これらを日本相撲協会がNHKの協力も得つつガッチリと定型化できているがゆえの伝達力です。

プロ野球と大相撲以外では、フィギュアスケートが新しい好例として挙げられるかと思います。
実況も解説もほどよく抑制が効いていて、観る側の感動を邪魔しない例が多く見られますし、専門知識が皆無に近い私にも伝わるあたり、実況の定型が確立している様子が窺えます。
この点は、絶叫が多くなってきた感のあるプロ野球や大相撲の実況も見倣ってほしいものです。

対してサッカーの場合、Jリーグが発足して長い年月が経過し、その間に何度もW杯があったにも関わらず、いまだに実況が定型化しておりません。

定型化したのは「ゴ~~~~~~~~~~ル!!!!!!!」だけでしょうか。

テレビで観戦していても絶叫ばかりが耳について邪魔なだけですし、ラジオで聴こうものならフィールドのどこにボールがあるのか把握することさえもできません。

もちろん、プレーが一球一打で細切れになる野球と比べ、間断なくプレーが続行するサッカーの実況は難しいところがあって、万人が認めるような名調子が出現してそれを模倣するという形での定型化がなかなか進まないということもあろうかとは思うのです。

しかし、だからこそ、サッカーであればJリーグ自らが定型化を図り、それこそサッカーの試合結果の伝え方から定型を提供していかないことには、プロ野球が占めている紙面や尺を削り取ることはできないでしょう。


この点は剣道も同じことが言えまして、過去記事でも書きましたが、試合結果の記録掲示方法の統一からまずは着手すべきだと思います。

既存の記録方法にこだわることなく、玉龍旗を主催する西日本新聞、魁星旗を主催する秋田魁新報、そして茨城新聞社旗を主催する茨城新聞などは報道に直結した記録方法を持っているはずですから、それらの知恵をお借りして、新たな剣道試合結果の記録方法を構築し、確立すべきではないでしょうか。

あ、結局は剣道ネタになってしまいました。
おあとがよろしいようで。A^^;




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