北の湖理事長の功績
昨日で九州場所は千秋楽。
その振り返りの前に、場所中に急逝された北の湖親方を偲びつつ、理事長としての功績について述べたいと思います。
と、言いますのは、北の湖親方が亡くなられてから今日までの間、テレビ、新聞、その他、様々な報道において、生前における北の湖親方の業績について紹介されておりますものの、そのほとんどが大横綱・北の湖の話であり、理事長時代についてはあまり報じられていないのですよ。大いに不満です。
力士としての業績は記録ずくめの北の湖でしたし、記録ばかりでなく記憶にも強烈な印象を残す、文字どおりの大横綱でしたから、それがクローズアップされるのは当然のことではありますけれども、日本相撲協会理事長としての功績も、現役時代のそれと比類するものと言っても過言では無いと思うのです。
北の湖理事長の功績として一番に挙げたいのは、地方巡業を勧進元への売り興業に戻したことです。
元より地方巡業は、各地の興行を希望する勧進元と呼ばれる人たちが協会に巡業開催の契約金を支払って興行権を譲り受ける形、つまり売り興行で行われてきました。
しかし1995年、当時の境川理事長による巡業改革により、勧進元主催から協会の自主興行へと移行します。当時は1994年に貴乃花が横綱に昇進するなど、いわゆる若貴ブームの真っ只中で、日本相撲協会には黙っていてもカネもヒトも濡れ手に粟のごとく付いてくる状況でした。
その中での地方巡業の自主興行化は、当時の勧進元に裏世界の人間も少数ながら含まれていたので、その排除だとか、色々と理由が述べられてましたけど、まー要するに「儲かるなら手前でやるよ」というだけのことでした。
しかし、元より力士あがりの親方衆が運営する日本相撲協会には興行のノウハウなどあるわけもなく、頼りの若貴ブームも間もなく終焉を迎えました。その結果、地方巡業は1992年の年間94日間をピークに減少を続け、ついに2005年には年間15日間までに落ち込んでしまったのです。
その間、勧進元=地元の名士が仲介しての新弟子スカウトもほとんど無くなり、外国人力士や学生相撲出身者ばかりに幕内を占められるようになってしまいました。
そんな経緯を経て、北の湖理事長の指揮により2006年から再び勧進元形態に戻すことになりました。理事長として3期目、前述したように2005年に地方巡業開催数の最低記録を経てようやくというところに周囲の抵抗を感じますが、まさに茨の道でした。
これについては当時の巡業部長であった元大関旭國の大島親方(当時)の苦労にも触れなければなりませんが、かつて勧進元を務めてくれたいた地元の名士にアタマを下げ、新しい勧進元を掘り起こし、財政破綻した夕張での巡業などボランティアにも精を出すなど、大汗をかいて全国を走り回る大島親方と、それを全面的にバックアップしていた北の湖理事長の尽力によって、新しい形の勧進元興業の礎が築かれたのです。
その結果、今年の地方巡業開催日数は60日を超えることになり、勧進元の全ての開催希望には応じられない売り手市場となるほどの復活を遂げました。この大功績がほとんど報じられないことには大いなる不満を感じております。
北の湖親方の理事長としての功績は枚挙に暇がないほどに挙げることができます。
2002年2月の理事長就任と同時に力士のCM出演が解禁されました。
ただ単に年寄株の相場を上げ、力士の引退後の道を閉ざすだけの結果となった「年寄株貸借の禁止」を撤廃したことは、放駒理事長時代に道筋が付けられた「年寄株の協会管理」、そして公益財団法人認可へと繋がりました。
1998年のカナダ講演を最後に途絶えていた海外公演を、2004年の韓国講演を皮切りに復活させたのは北の湖理事長です。
1993年のホノルル・サンノゼ巡業以来13年ぶりとなる海外巡業を、2006年台湾巡業を皮切りとして復活させたのも北の湖理事長。
ひよの山を誕生させた総合企画部の設置や広報部の強化を図ったのも北の湖理事長。
審判部副部長に若年の貴乃花を起用し、理事就任への足がかりを作ったのも北の湖理事長。
(まさか貴乃花が二所ノ関一門を飛び出して強行就任するとは思わなかったでしょうが。)
若ノ鵬の逮捕(大麻所持)がきっかけとはいえ、プロスポーツ、なかでも格闘技系スポーツの世界では先駆ける形でWADA・JADA準拠のドーピング検査を実施できる体制を敷いたのも北の湖理事長。
デーモン閣下が悪魔の姿で出入りすることを許可したのも北の湖理事長。
ただ、私個人としては、公傷制度を廃止したことのみは頷けない業績と思っておりますが、それさえも含めて北の湖理事長の方針には筋が真っ直ぐに通っている上に言行が一致しており、全幅の信頼を置くに足る理事長として揺るぎないものがありました。
理事長時代の減点要素としてチラチラ取り上げられているのが、弟子の大麻疑惑により理事長辞任に追い込まれた件と、弟子の八百長疑惑により理事辞任に追い込まれた件ですが、これについて弁護したいです。
大麻疑惑の渦中で解雇された白露山も、八百長疑惑の渦中で解雇された清瀬海も、北の湖親方が育て上げた弟子ではなくて預かり弟子であったということは、述べておかねばなりません。
白露山は元・大関北天佑の二十山(当時)に入門し、二十山の急逝により北の湖親方が預かった弟子です。預かったときには既に幕内力士だった白露山への教育は稀薄であったであろうし、預かってわずか2年後に不祥事を起こされたことには同情を禁じえません。
清瀬海は木瀬親方の不祥事により木瀬部屋ごと北の湖部屋預かりとなったのが2010年5月末で、大相撲八百長問題の渦中に巻き込まれたのが預かって1年足らずの2011年2月のことです。
ましてや、清瀬海が八百長に関わったとされる取組は北の湖親方が預かる前の場所であり、預かってからも部屋付きになった木瀬親方の内弟子であったにも関わらず、北の湖親方もけん責処分を受ける羽目になったのは理不尽とも言えます。
この他に時津風部屋力士暴行死事件なども挙げられますけれども、マスコミや文部科学省が叩くほどには後手を踏んではいませんし、理事長として警察の捜査にも協力し、再発防止検討委員会を速やかに設置するなどして毅然とした態度で処理に当たっておりました。
北の湖親方にまったく瑕疵は無い などとは申しませんが、これら北の湖理事長のバッシング材料は、ただ叩かんがために針小棒大に語られているように思えてならないのです。
他にも色々と書きたいことはあるのですが、キリが無いのでこのへんにしておきますけれども、それほどまでに、北の湖親方は希有なリーダーシップを発揮して難局を乗り切った素晴らしい理事長でした。
北の湖親方の理事長としてのお働きに感謝を申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
合掌。
概ね好意的な論調と受け止めました。
しかしどうなのでしょうね。
巡業に関しても年寄株に関しても、
北の湖がやったことは
原状復帰かマイナーチェンジなのでは?
その愚直さまっすぐさこそが
北の湖らしいといえば
らしいのかもしれませんが。
企画部や広報部の設置といっても
ようやく重い腰を上げて
並みのファンサービスに
取り組み始めたに過ぎず。
輪湖時代の親方衆は
群がる客を手で払いのけていた
とも聞きますし。
不祥事に関しても
「管理責任がない」
では通らないでしょう。
「生みの親が悪い」
「養い親に責任はない」
これで果たして
世間が納得してくれるか。
角界に蔓延する
隠蔽体質を看過した、
という点において
私は彼を評価できないのです。
協会の構造改革については
貴乃花世代以降に期待しております。
八角は代行ですし似たタイプですし
大きなことはやれんでしょうな。
乱文長文失礼致しました。
木村晶彦さん、コメントありがとうございます♪
返信を書いておりましたら思いの外に長くなりましたので記事化しました。
「日本相撲協会理事長職に求められるリーダーシップとは?」になります。
不祥事に関しましてはまたあらためまして。
境川さんが急進的すぎたきらいがあって、理想は良かったんですけどデメリットを忘れて突進してしまう傾向があったような感じがします。
北の湖さんも第1期のはじめのころは似たようなところがあって、公傷廃止のように、ともすれば「改革をすればよい」という方向に陥った感もありました。
途中からは地に足が着いた感じになったように思います。
惜しむらくは、口下手すぎました。
巧言令色の対極をいった感じですけど、これまたいささか極端で…
ファンサービスは、私は野放図すぎるかなと思っているところがあって、ときどき関取の場所入りの映像が中継で流れますが、群がるファンをほとんど律していません。
ブレーキをつけ忘れた車みたいになってます。
相撲評論家様、コメントありがとうございます♪
相撲評論家様の猫だまし評(九州場所講評)、楽しみにしております。
口下手・・・そのとおりですね。A^^;
コメント頂きました点、ほぼ同感です。
まだ私が見ているのは12日目なんですけど、今場所は3年ぶりの大不作場所ですので、三役以上といえども全員の評を書くということはしません。
価値のある者のみを残しますのでご留意のほどを…
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