父の急逝

約1週間、ブログもTwitterも投稿を控えておりましたが、実は父が急逝しまして。
父は平成27年10月28日午前6時18分に逝去。享年は数えの73歳、満年齢で72歳でした。

10月30日の通夜、10月31日の告別式には多数のご参列を賜りました。皆様の温かなお励ましにどれほど助けられましたことか。あらためまして、深く御礼を申し上げます。まことにありがとうございました。

初七日を経て、ようやくにして事態に気持ちが追いつきましたので、新たな一歩を踏み出すためにも、振り返ってみたいと思います。


10月20日に入院し、同月28日に逝去したと言えば、ピンピンコロリの部類に思われるかもしれませんが、父の死因は右肺癌からの多臓器転移。ピンピンコロリなわけがなく、当然にして年単位で体調異変の自覚があったはずですし、父の体調不良に家族が気付くようになった9月頃からは相当に苦しかった筈なのですが、とうとう最期まで弱音を吐かず仕舞いでした。

そんなもんですから、末期癌ということで回復の見込みは無いにせよ、緩和ケアに移行してからの癌との闘いが長くなるであろうという覚悟はしていたものの、今日明日にも亡くなるかもしれないなどとは夢にも思っておりませんでした。

逝去の2日前となる日曜日は次男・娘・教え子ともども厳心旗剣道大会に参加してましたし、大会会場と入院先が近かったこともあって次男と娘は父の見舞いに立ち寄ったみたいですが、自分はそのまま帰宅し、厳心旗の結果速報をTwitterに投稿するなどフツーに過ごしてました。

が、翌月曜日、かなり状態が悪い旨の知らせが母からスマホに入り、それでも緊迫感に欠けた状態のまま午後休を取って病院に駆けつけると、たしかに状態はよろしくない。

この日は、主治医に「強いクスリを処方するので、父が意識を失う前に会わせたい人がいるなら会わせるように」という主旨の言葉を受けた母からの連絡により、父の兄弟、母の兄弟、従姉妹らが見舞に来てくれましたし、私、妹、弟、私の次男と娘、妹の娘達と末っ子長男も、父と言葉を交わすことが出来ました。

残念ながら、新潟の大学に進学した私の長男だけは間に合いませんでしたが、今にして思えば、父が苦しい中で1日だけ旅立ちを待ってくれたのが10月27日月曜日であり、この1日が無かったら、後悔するところはとてつもなく大きかったと思います。

が、この時点でもまさか翌朝に亡くなるとは思いもせず、夜間になっての強いクスリの処方によって父の状態も落ち着いたように見えたので、母を付き添いに残して帰宅したのでした。

そして10月28日。通常どおりに出勤するつもりでいた私は定刻の起床時間である5時30分に起床。布団の中でウダウダしつつTwitterにいつもの「おはようございます♪」を送信……その直後に母から電話。その内容は父危篤。

妻と、前日から家に泊まってくれていた妹と病院へ駆けつけるも、臨終には間に合いませんでした。

今、振り返れば、主治医の言葉が臨終間近であることを伝えてくれていたことが分かります。4人部屋から個室に変更してくれたのも同じ理由であろうことも分かります。しかし、父は5人兄弟の三男、母は7人兄弟の四女、ゆえに同居親族の臨終に立ち合ったことがなく、職務上ハッキリと言えない主治医の言葉や病院側の配慮から臨終間近であろうことを読み取ることは出来ませんでした。
臨終間近であろうことを察知し、母と共に父の臨終を看取ることが出来なかったことは、今もって痛恨の思いがします。

母による臨終の様子を伝える言葉もあまり覚えてません。突然すぎて泣けません。まさに茫然自失。しかし、父の急逝という事実は、立ち止まることを許してくれませんでした。
(つづく)




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Comments (2)

  1. kanimimi

    この度は、誠にご愁傷さまでございます。心からお悔やみ申し上げます。

     私の父は、数えで77。
    あと二か月頑張ってくれれば77歳といった感じでの旅立ちでした。
    障害者認定を頂いた数年でしたので【ぴんぴんころりん】とは言えませんが、
    前日に頭をきれいに散髪し、お風呂に入って身綺麗にしてから旅立ったので、
    非常に優等生だったと思います。

     当方のブログでも書きましたが、
    かかりつけ病院に拒否され、救急病院にも拒否されたおかげで、
    良い病院⇒良い葬儀屋⇒良い霊園と、
    悉く事が順調に進み、
    父の日ごろの行いが良かったからなのだと母と話しております。

     家族を失う事はとうてい言葉にできない事が多いですが、
    残された家族の幸せが亡くなった家族への供養になると思います。

    Reply
    1. 甚之介 (Post author)

      kanimimiさん、お悔やみのお言葉ありがとうございます。

      kanimimiさんのお父上の訃報に接したほかにも、友人知人の親の訃報に接する機会が増え、ああ私もそういう年代になったのだなぁと思いつつありましたが、実際にその立場になってみると色々と大変ですね。今は四十九日に向けての準備に追われてます。

      ホント悲しむ間も無いというのが実感なのですが、初七日、四十九日、初彼岸、新盆、一周忌と追い立てられることで心が折れずに現実との折り合いが付けられるように仕向けられている感じです。古人の知恵と申すべきものでしょうか、うまく出来てるもんですね。

      ウチも良い病院⇒良い葬儀屋⇒良いご住職までは導かれるように出会えました。良い霊園はじっくり考えます。

      Reply

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