文武両道という言葉の半誤用

文武両道という言葉は、文(=勉学など)と武(=武道を含むスポーツなど)という異なる性質のものを同時並行しするという意味に取られがちですが、それは半分正しく半分誤りだと思います。

おっと、いつものごとく逃げ口上。
とくに教養を積んだわけでもない私による一考察に過ぎませんので、鵜呑み厳禁でお願いします。A^^;


当たり前のことですが、剣道の稽古をしながら英単語を暗記する、などという二宮金次郎的な文武の並列処理はできません。

なので、授業時間は勉学に集中、放課後は部活に集中することはもちろんのこと、帰宅後も予習復習時間とトレーニングタイムを計画立ててそれぞれ集中する…というようなことを指して「文武両道」と呼ばれがちなのですが、前述に重なりますけれども、それは半分正しく半分誤りだと思うのです。

前述したような「文武両道」には、気持ちの切替えとその対象への集中が速いといった資質が必要です。
そのような資質が無いまま「文武両道」に取り組んだところで、いわゆる「二兎追う者は一兎も得ず」という結果が待っているだけですから、部活と勉強を両立する方法として「文武両道」という言葉を使う際には、資質を鑑み、よくよく気をつけねばなりません。

で、資質の話に戻ります。
「文武両道」に適している「気持ちの切替えとその対象への集中が速い」という資質は素晴らしい長所でありますが、裏を返すと、飽きっぽく集中が持続しないという欠点を併せ持つケースが多いものです。ただ「文武両道」という取り組み方によって、短所が短所とならず、長所として活かされているだけなのかもしれません。

逆説的に言いますと、気持ちの切替えが下手で、その対象への集中にも時間がかかるという「文武両道」に適さない資質は他人から指摘を招きがちな短所ですけれども、裏を返せば、一旦集中してしまえばその集中が長く持続するという長所を併せ持つケースが多々あります。

まー、そこまで極端な例は無いかもしれませんが、要するに「気持ちの切替えに要する時間」と「集中を持続できる時間」という2点を自覚した上での文武両道を考えるだけでも、最も高効率で結果の出る文武両道の形は人それぞれに異なるということです。

取り組む時間のバランスは文:武=5:5が理想とは限りませんし、文武の主従関係を「文>武」「文≧武」「文=武」「文≦武」「文<武」のいずれに置くかは目指すところによって異なるでしょうし、文と武の切替単位は「分」「時」「日」「週」「月」「年」の何れにするのが良いのかは当人の資質によるでしょう。

つまるところ「文武両道」というのは1つの取組み方を指す言葉ではなく、自身の資質に合った取組み方で文と武を往復回帰することにより、文の一助となる武、武の一助となる文を体現することだと思うのです。

その意味では「文武両道」という言葉は独り歩きしている感がありますので、「文武不岐」という言葉を使った方が良いのかもしれませんね。




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Comment (1)

  1. 西島

    大変参考になりました。

    Reply

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