判定勝負の功罪
先の日曜日は剣道道場連盟全国大会個人戦の茨城県予選でした。
八千代剣道教室は小学生男子の部に1名、同女子の部に4名、中学生男子の部に4名、同女子の部に2名を選手登録して臨みましたが、残念ながら芳しい成績は残せませんでした。
しかしながら小4女子3人娘がチビなりに精一杯の試合をしてくれたことに、希望の光を見た思いがします。先を見据えてじっくり育てたいものです。
さて、同大会に出場された道場関係の皆様には、私の言わんとしていることがタイトルからお分かりになるかと思いますが、ここは全世界にオープンな場所ですから、まずは茨道連ローカルルールについてご説明しなければなりません。
試合時間内に本数差が付かない場合、団体戦は引き分け、個人戦は時間無制限1本勝負となるのが標準ルールですが、茨城県剣道道場連盟(茨道連)の小中学生全国大会予選ローカルルールでは判定勝負となるのです。判定基準につきましては茨道連公式サイト上で公開されてますのでご確認ください。
なお、尖ったタイトルを付けてしまいましたが、茨道連ローカルルールを批判する意図はありませんし、その目的を否定するものでもありません。(逃げ腰)
ただ、教え子の試合を監督し、審判も務める中で、判定勝負は功罪併せ持つなぁと思ったので書いておこうかと。
判定勝負の功としては、試合に積極性が増した点だと思います。
力なき者は時間切れになれば判定負けする公算が高いので一か八かの勝負に出ますし、力ある者は判定というどちらに転ぶか判らないものに勝敗を委ねたくはありませんから積極的に一本を獲りに出ますので、その点では茨道連の狙いどおりの効果だと思います。
加えまして、審判も判定を下すのは嫌なので(この心理は後述)一本の出現を心待ちに構えているためか、有効打突の見逃しが通常の試合より少ない傾向が出ているように思えました。かといって旗が軽くなったというイメージは無く、この点も良い効果だと思います。
判定勝負の罪としては、やはり、判定負けした選手当人や選手関係者にはどーしても納得のいかないモヤモヤ感が残ること、これに尽きます。
極端なことを言いますと、ミスジャッジで負けたときでさえ、一本で勝敗が決したならば監督から選手にかける声はあるのです。
しかし判定、しかも旗が割れたとなると、これはもう「運が悪かった」としか言いようがありませんし、旗が全て相手に上がったら、選手は自分の剣道を全否定されたような錯覚にさえ陥りかねません。
また、審判にも多大なプレッシャーが生じます。
時間切れとなってから主審が「判定!」のコールをするまでの僅かな時間の中で試合全体を振り返ってどちらかに旗を上げねばならず、自分1人が異なる旗を上げたときの「やっちまった」感はかなりのストレスです。
審判を任せられた1人として正直な気持ちを申しますと「もーやだ」です。A^^;
判定に泣かされた選手とは比較になりませんが、審判もツライというところ、ご理解を賜りたいと思います。
今のところ、茨道連ローカルルールは功罪が相殺されて±ゼロだと思います。
とはいえ、団体戦の引き分けが消極的な試合を生み、個人戦の時間無制限一本勝負が単なる体力勝負やガマン比べに陥るという現状ルールの弊害もまた事実ですから、それに対する一つの方策として茨道連ローカルルールは否定すべきものではなく、むしろ評価できると言えます。
ただ、より功の部分を活かすため、罪の部分を減じる手立てが必要でしょう。
最終的には審判の主観に委ねられるにしても、審判間でのブレが少なくなる判定方法を模索する必要があります。これは基本試合の判定方法にも共通する課題だと思います。
みなさんはいかがお考えになりますか?