祝・下妻市制60周年

先の日曜日は下妻地区剣道連盟月例稽古会だったのですが(稽古日は毎月第4日曜日なのですが、5月度=5/25は茨城県剣道連盟理事評議員会と重なるため6/1にしてました)、同日に下妻市制60周年記念イベントが開催される関係で、定例稽古会場の下妻体育館が使用できず、旧東部中柔剣道場に会場を移しての稽古会でした。

あ、ちなみに6月度=6/22の月例稽古会も旧東部中柔剣道場が会場となります。
参加される皆様にはお間違いの無いようお願い申し上げます。


で、その下妻市制60周年記念式典ですが、たいへん盛り上がったみたいですね。
茨城新聞さんがYouTubeに動画配信ニュースを載せてくれてましたので貼っておきます。

この動画の中で、特別住民票を交付された”3次元化”シモンちゃんが色々な意味で衝撃的でしたが(男の娘じゃないのね笑)、観光大使に委嘱された土屋アンナさんのお話の中で「下妻物語で10年前に下妻を訪れて撮影してたのですけれども、やっぱり、下妻物語があっての今回(観光大使就任)だと思うので・・・」の下りで、あー、あれからもう10年かー、と思いましたね。


実は、2004年5月に公開された、深田恭子・土屋アンナ主演の「下妻物語」のヒットにより、今も「下妻市」が残っていると言っても過言では無いのですよ。

当時は平成の大合併真っ最中でして、当初の合併構想では下妻市と旧結城郡(八千代町・旧石下町・旧千代川村)の1市2町1村が「常総市」という名前で合併することにほとんどなりかけていたのです。

まー、我が八千代町が「町役場を立て直すために積み立てていたお金をどうすんだ」とか「八千代だけ線引きしている状況では不利過ぎる」などなど合併に消極的だったこと、主に下妻市と旧石下町での主導権争いなどで、合併協議会の議事録が「えー、こんなの公開すんのかよー、恥ずかしー」と思うくらいにガタついていた点も大きかったのですが、下妻二高が甲子園初出場、アテネ五輪柔道女子78kg超級で下妻出身の塚田真希が金メダル獲得、そしてこの下妻物語の大ヒットにより「下妻の名を残すべきだ」という気運が急上昇しての合併構想瓦解、そして旧下妻市と旧千代川村の合併による下妻市存続となったわけでして、市制60周年を語るのに「下妻物語」は欠かせないのですよ。

当時の私、積立金のある八千代町は有利な条件で合併できるうちに合併しとけ派だったので(町役場を建て直して積立金が無くなった今は八千代町単独行政継続派w)、実のところ複雑な気持ちではあるのですけれども、下館、水海道など歴史ある市名が消滅した今、下妻という市名が残ったことはとても良いことだと思ってます。その意味では下妻物語に感謝しております。

今後も八千代町は下妻さんの協力を頂くことになるかと思いますので、下妻さんには宜しくお願い申し上げます。




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