立合論

前記事で書いたとおり、この九州場所が初日を迎えた10日(日)は既に入院中で術後4日目。昨日に千秋楽を終えた本日ですが、もちろんまだ入院中です。

手術前は『病室のテレビはBSも入るし、九州場所は幕下から見放題だなw』などと思っていたものですが、想定よりも術後の経過がよろしくなくて長時間座っていられず、39度を超えるような高熱に苛まれたりと、気を紛らわせるためにテレビで相撲は見ているけれども観てはいないという状況でした。

そんなわけで、いつものように幕内後半戦の取組を書き起こしたり、考察を述べたりすることは出来ずにいたのですが、中日の豊山-炎鵬における、両者が当たらない立合については琴線に触れてしまいTwitterで中途半端に述べてしまったので、まとめてみたいと思います。

令和元年大相撲九州場所中日の豊山ー炎鵬はこちらでご確認を頂けますが、まずは書き起こし。

腰を降ろした両者、炎鵬が右拳を置くところ豊山は足位置を後退させつつ左拳を置き、次いで豊山が右拳も置いて待機、これを見た炎鵬左拳をトンと着いて腰を上げる、豊山これを確認して腰を上げて両者間合を空けて対峙するも、行司晃之助立合の成立を認めず。

2度目の立合。最初の立合と同じく炎鵬は右拳、豊山は左拳を置く。炎鵬が左拳をトンと着いて当たりにいくも豊山右拳を降ろせず、この立合も不成立。

3度目の立合。やはり最初の立合と同じく炎鵬は右拳、豊山は左拳を置き、今回は炎鵬が左拳も置いて待機、豊山が右拳をトンと着くのを合図に両者腰を上げる。やや間を置いて晃之助は立合の成立を認めて当たり合うことを促す。

両者にじり寄って機を覗うところ豊山が両手突き強襲、炎鵬は白房方向へ運ばれつつ体勢を低くして頭を豊山のアゴ下に付けて土俵中央へ押し返しつつ左前褌を覗う、豊山これを嫌って突き押すも炎鵬両ハズにして正面に豊山を押し込む、豊山左で片閂にして堪えるところ炎鵬引き落としにかかり、乗じて豊山突き押し、これを掻い潜らんと体勢を低くした炎鵬の後頭に豊山が左でのしかかるようにして突き落とすと、炎鵬は前転して落ちた。

これについて、複数の論点が存在するので、分けて述べたいと思います。


まずは行司の木村晃之助による立合判定の是否。
これは否。明確に否です。

不成立とした最初の立合と、成立を認めた3度目の立合は、炎鵬の左拳と豊山の右拳の置く順序が入れ替わっただけで全く同じ。なのに最初の立合を不成立とし、3度目の立合は成立を認めたのか、まったく理解できません。

ただでさえ行司や正面審判の立合判定にブレがあって、力士も不信感を隠さないし、観る側の我々もイラついているところ、同じ行司が同じ取組の中で立合判定を大きくブレさせたのですから、今件について木村晃之助を弁護する余地など全くありません。


次に、当たらない立合を是とする旨の論拠として「ルールで禁じていないからアリ」とした実況・藤井アナと解説・舞の海秀平氏の言の是否。

私としては、不文律に頼るところの多い大相撲でのその発言は、あまりにも不用意だと思うのです。

スポーツとしての相撲競技(アマチュア相撲)のルールである全日本相撲連盟の審判規定(リンク先はPDF)が45条にも及ぶのに対し、大相撲のルールである日本相撲協会寄附行為 審判規定 行司はその半分にも満たない21条しかなく、リンク先でご確認を頂ければお分かりのとおり、内容も極めて薄いものでしかないのです。

これは大相撲が不文律に頼るところが多いとすることの証左。
当然にしてこの内容の薄さを知りながら「ルールで禁じていないからアリ」とする藤井アナと舞の海秀平氏の論は、いささか誠実さを欠いていると感じます。

また、舞の海秀平氏は返す刀で白鵬のかち上げを批判するのですが、「ルールで禁じていないからアリ」とするのであれば、白鵬のかち上げを批判する論拠は失われてしまいます。相撲解説者としてあるまじき二重基準=ダブルスタンダードであり、氏を相撲解説者として信用することはとうの昔に諦めておりますけれども、一定の信頼を置いている藤井アナが同調するに至っては苦言を述べずにはいられませんでした。


上記2点を別の論点として分けた上で、当たらない立合の是否について述べたいと思います。

私としては、相撲の立合は当たること、他の競技でも使う言葉に訳すと、コンタクトすることが前提となるのは暗黙智だと思うのです。

他の競技では、試合開始即コンタクトを仕掛けることは「奇襲」と呼びます。

長きに渡る競技歴史の中で、試合開始直後はその時間の長短はあれども相手をよく観察し、自分優位で相手不利となる形や機会を覗いつつコンタクトする方が勝率を高めるということが経験智の積み重ねで常識として確立されていて、その常識を裏切ること=試合開始即コンタクトを仕掛けることはハイリスク・ハイリターンを狙う「奇襲」と呼ぶことが定着しているのでしょう。

これはあらゆる格闘系競技はもちろんのこと、ほぼ全てのコンタクト競技に共通していることであり、私の本領である剣道もその例から外れません。

しかし相撲の場合は逆で、コンタクトせずに避ける方を「奇襲」と呼ぶのです。

試合開始即コンタクトする/しないの二者択一の選択が自由であるのなら、相撲も他の競技と同じく、試合開始即コンタクトしないことが定石となるのが自然であり、おそらくはレスリングのそれと同じ形になるでしょう。

それがそうではないということは、やはり暗黙の了解の中で、相撲の立合はコンタクトすることが前提となっているのです。

私としては、それが相撲の面白さに直結していると考えますので、当たらない立合を是とすることに強い抵抗を覚えます。

まとめますと、
1)立合の前提条件にはコンタクトすることが含まれている。

2)それを片方が崩しても、もう片方が維持しているならば立合成立。

すなわち、一般的に言うところの「変化」というやつですね。

3)それを両者が崩してしまっては、もはや不成立。

今件=豊山-炎鵬はそれに含まれますが、その裁量は行司および正面審判の主観に委ねられてます。
今件の例で言いますと、コンタクトしようとする意思が両者あるいは片方にでも示されたならば、成立とすることも可。
しかしながら、豊山にも炎鵬にもコンタクトする意思は全く感じられず、お互いに相手がコンタクトして来ないことを前提に腰を上げただけですから、これを不成立とした晃之助の最初の裁定は支持できます。
(なのに3度目の立合を成立させちゃうのだから困るのだよ晃之助)


立合論としてまとめるつもりが、かえって散らばってしまいましたけれども、さて、皆様はいかが思われますか?




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Comments (2)

  1. 相撲評論家

    ご無沙汰しております。
    1点だけ。

    ・立ち合うのに呼吸を合わせることのみを求めるようになった
    ・仕切りを必ず相手と距離がある状態で行うようになった
    のはいずれもたかだか90年前からということを念頭においていただきたく願います。

    Reply
    1. 甚之介 (Post author)

      こちらこそ、ご無沙汰を。
       
      立合について、私のような門外漢があーだこーだ言う余地の無い理を角界が示してくれたらそれで良いのですが、現状それが無いどころか、角界の各位で言ってることがバラバラなのが困ります。
       
      ともあれ、相撲評論家之頁⇒当場所概評の更新を楽しみに待っております。
      なにせ今場所はボーっと眺めるだけの日々だったので。

      Reply

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