30年前、18歳の私へ

昨日はカミさんが朝から赤飯を炊いてくれて「あ、そっか、今日は私の誕生日だ」と気付いたりする48歳なのでした。A^^;

さすがにアラフィフでございますから、心境としては「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」(by一休宗純)くらいには悟っているのですが、家族にお祝いされたり、Facebook経由でお祝いのメッセージを頂いたりすると心が躍るものですね。皆様、ありがとうございます。

さてさて、昨日の会社からの帰路のクルマでラジオを聞いておりましたら、30年前の昨日がバブルのきっかけとなったNTT株の新規上場だったそうで。

当時18歳の工業高校生だった私はバブルの真っ只中に就職したわけですが、そのバブルは約3年で崩壊を迎えましたから、ほとんど美味しい経験をしていないどころか、最初の就職先がバブル崩壊の寸前という今考えれば最悪のタイミングで不動産事業に手を出して倒産するという憂き目に遭うなど、まーったく良い思い出がありません。

昨日は赤飯を食べながら、30年前の誕生日もこの場所に居たんだよなぁと思い返してました。
目の前にいる次男は私が30歳の年に生まれましたから、30年前の私と同じ18歳。うーん、こんな感じだったのかなぁとも思ったりしました。

ただ、18歳の頃の私はちょいと自暴自棄気味でしたね。
高校で剣道をやり足りなかったので大学か警察で剣道を続けたかったのですが、母校である工業高校には心底落胆しておりましたから部活の剣道と図書館の本読みと友達とのじゃれ合いのために通学していたようなもので成績はいつも下から片手以内。これでは大学も警察も無理。

それに比べたら目の前に居る次男も越後長岡で大学生活を送る長男も私などより立派な高校生活をしてましたし、将来のビジョンも立ってます。

30年前の18歳の私は、就職先も県外に寮のある会社に夏休み頃には入社を決めてしまってましたから、顧問のいない中学校剣道部の指導に通いつつ、自動車学校に通う日々でした。就職先でもソフトウェア志望だったのが志望者の少なかった電子設計に廻されてしまい、希望らしい希望も持てずに「まーなるようになるさ」と妙な腹のくくり方をしてました。

そんな30年前の私に声かけたい。
30年後の君は3人の子持ちで、茨城に戻って一家の大黒柱やっていて、剣道も再開して五段まで昇段していて、工業高校に入学したときに志望していたメカ制御のソフトウェアエンジニアとして働いているよと。

たぶん、いや、絶対に信じないと思う。A^^;

でもね、30年前の私にこれだけは言える。
18歳の視界から見えるだけの将来しか可能性が見えないのは仕方ないことかもしれないけれど、そんなツマラナイ世の中ではないよと。
良しにつけ悪しにつけ、想定外のことがポンポン起きるのが世の常であり、退屈している間なんか無いのだから、それを楽しんでしまえと。
幸せか不幸せかは死ぬ間際にならなきゃ分からんよと。

ここまで書いて、なんだろうこの既視感はと思ったら、亡き親父殿に酒席でこんな感じのことを言われてました。30年前の私に声かけすることはドラえもんにでも頼まないとできないけれど、子供に卸すことはできますね。
親父殿の言葉が私の中に残るのと同様に、私の言葉が子供達に残るかは分からないけれど、もうそんな年齢になってきたのだなぁと思った48歳の誕生日でした。


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