稀勢が雲竜型を選択する理由
稀勢の里は雲竜型の土俵入りを選択したとのことですが、育ての師匠である隆の里の鳴戸が横綱時代に用いていた不知火型を選択しなかったことを疑問に思う声が少なくありません。が、雲竜型で正解なのです。
不知火型の横綱で存命であるのは、60代横綱・双羽黒、63代横綱・旭富士、66代横綱・若乃花3、69代横綱・白鵬、70代横綱・日馬富士、以上の5人となります。このうち双羽黒は廃業、若乃花3は退職して相撲協会と距離を置いてます。現役の白鵬と日馬富士の不知火型は旭富士の伊勢ヶ濱から継承したものです。
旭富士の不知火型は53代横綱・琴櫻の佐渡ヶ嶽から継承したものです。
実は、稀勢の里の師匠である59代横綱・隆の里の不知火型も琴櫻から継承したものなのです。
つまり、
という形になりますので、稀勢の里が旭富士の伊勢ヶ濱あるいは白鵬や日馬富士から不知火型を継承しても、隆の里の不知火型を継承したことにはならないのです。
同じ不知火型、それも元は琴櫻ならそれで良いじゃないかというご意見もあるかもしれませんが、同じ旭富士の伊勢ヶ濱から継承した白鵬と日馬富士の不知火型が異なる形になっていることからも分かるように、土俵入りの継承とは完コピを指す言葉ではないのです。
伝統の継承を「伝燈」に例えますならば、燈(ともしび)を受け継いだ者は新たな油と新たな灯芯を加えなければ燈は消え、後世に伝えられずに途絶えてしまいます。残念ながら、旭富士の不知火型には隆の里が継ぎ足した油と灯芯は含まれておらず、これを稀勢の里が継がねばならない理由も無ければ理も無いのです。
その意味では雲竜型こそ縁もゆかりもないではないかと言われるかもしれません。が、縁もゆかりもあるんだな。
隆の里の師匠は若乃花1の二子山。
稀勢の里にとっては大師匠ということになりますが、その若乃花1は二所ノ関一門の雲竜型の祖で、その継承は下図のとおりです。
貴乃花は二所ノ関一門を飛び出してしまいましたが、二所ノ関一門にはまだ62代横綱・大乃国の芝田山がおります。
芝田山から雲竜型を継承することで大師匠の土俵入りを継承することになるのですから、とても良い形に修まります。
その上で、言うまでもなく不知火型の横綱と雲竜型の横綱が2:2となってバランスがよいのですから、稀勢の里が雲竜型を選択することは大正解なのです。
以上、相撲評論家之頁の変わりゆく土俵入りの型(一)を参考に述べさせて頂きました。m(_ _)m
再度相撲FANのt-mです。
そうそう、第72代横綱・稀勢の里の土俵入りが、亡き師匠・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の
不知火型でなく、雲龍型を選択した事に少し驚いてた処でした(^_^;)
もし前・鳴戸親方が存命中だったならば、直に愛弟子・稀勢の里へ不知火型を教えられた
でしょうから、そっちを選んでいた可能性が高かったのかな?と思います。
でも、不知火型はかつて「短命のジンクス」と言われてた事も有り、隆の里も稀勢の里と同様
30歳の遅咲きで横綱昇進を果たしながら、度重なる怪我に泣き結局15場所の短命で引退。
「稀勢の里は短命横綱」という見方をする好角家も多いそうですから、稀勢の里は敢えて
縁起の良い「雲龍型」を選択した可能性も有りますね(勿論雲龍型ながら短命に終わった
前田山・三重ノ海などの横綱も少なからず居ましたが)。
それと芝田山親方(元横綱・大乃国)は、初めて新横綱に対して横綱土俵入りの型を指導
する大役を務める訳ですな。大乃国さんとしては公の場で久々の雲龍型を見せてくれます
ので、そちらの方も注目したいですね。
t-mさん、コメントありがとうございます♪
土俵入りについては相撲評論家様のサイトで勉強中ですが、ようやく善し悪しが分かりかけてきました。稀勢の里の雲竜型がどのような形で始まり、どのように進化していくのか、楽しみにしております。
さて、今回芝田山が初めて継承する立場になったわけですが、自身で土俵入りの継承が止まっている元横綱がまだ2名おります。61代横綱・北勝海の八角理事長と、67代横綱・武蔵丸の武蔵川です。
北勝海の雲竜型は千代の山⇒北の富士⇒千代の富士⇒北勝海と継承されてきた九重直系ですし、武蔵丸の雲竜型は栃錦⇒佐田の山⇒三重ノ海⇒武蔵丸と継承されてきた出羽海直系。いずれも絶やしてはならない系統です。
北勝海の八角は53歳なので65歳の定年まで12年、武蔵丸の武蔵川は45歳なので定年まで20年ありますけれど、千代の富士も北の湖も定年を待たずに急逝してしまいましたことを考えますと、あまり楽観視できません。若手の台頭を望みたいところです。
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再びt-mです。
平成時代に入って以降元横綱力士で、日本相撲協会員の親方
(途中離職者を除く)ながら、自身の土俵入りの型を新横綱に
指導・継承出来なかったのは、ほいか私の記憶では確か↓の
親方衆では無かったかと思います。
第47代横綱・柏戸(のち鏡山親方、1996年12月58歳没)
第49代横綱・栃ノ海(のち春日野親方、停年退職後現在存命中)
第50代横綱・佐田の山(のち出羽海親方、停年退職後現在存命中)
第55代横綱・北の湖(のち北の湖理事長、2015年11月62歳没)
確かこの4人が新横綱に土俵入りを指導してなかったのでは?と。
もし間違っていたら、ご訂正をお願いしますm(_ _)m
で、甚之介さんの書かれた第61代横綱・北勝海の現八角理事長と、
第67代横綱・武蔵丸の現武蔵川親方が未だ継承未経験者ですね。
なお上述6人の元横綱は全て、昔から継承者の多かった「雲龍型」
を選択した方々でした。雲龍型の選択した元横綱の親方は、新横綱
に土俵入りを指導の役目が無いまま終わる場合も多いみたいですね。
逆に、継承者が少ない「不知火型」を選択した第53代横綱・琴桜
(のち佐渡ヶ嶽親方)は、隆の里・双羽黒・旭富士ら、新横綱の
3人に対して土俵入りを継承。
同じく不知火型だったの第59代横綱・隆の里(のち鳴戸親方)は、
第65代横綱・貴乃花が新横綱の時に、第56代横綱・2代若乃花幹士
(のち間垣親方)と共に、雲龍型の土俵入りを二人で指導してました。
ほか鳴戸親方は第66代横綱・若乃花勝にも不知火型の土俵入りを継承。
第63代横綱・旭富士(現伊勢ケ浜親方)は、現役横綱の白鵬・日馬富士
の二力士に対して、不知火型の土俵入りを指導の経験が有ります。
こうしてみると、かつて「短命のジンクス」と言われながら継承者が
少なかった「不知火型」を選択した元横綱の親方は、のちに複数以上の
新横綱に土俵入りを指導する傾向に有ったのですね。
t-mさん、コメントありがとうございます♪
相撲評論家之頁さん頼みで恐縮ですが、佐田の山は三重ノ海に継承され、武蔵丸まで渡っているみたいです。北の湖は三重ノ海が武蔵丸に継承する際に関わってますね。
土俵入りは雲竜型と不知火型の前に、一門ごとに異なる系譜を持ちます。
出羽海一門は栃木山から栃錦⇒佐田の山&北の湖⇒武蔵丸の雲竜型。
高砂一門は出羽海一門から破門された九重=千代の山から北の富士⇒千代の富士⇒北勝海の雲竜型。この系統は千代の富士⇒曙⇒朝青龍と高砂系にも枝分かれして継承されましたが、ご存知のとおりの事情により断絶しました。
二所ノ関一門は記事本文をご参照ください。貴乃花一門も同じ。
時津風一門は双葉山⇒鏡里⇒柏戸で断絶してしまいましたが、21代木村庄之助経由で若乃花1に渡った双葉山の雲竜型が、記事本文に書いた系譜をたどって井筒部屋の鶴竜に戻ってきてます。これは美談。
伊勢ヶ濱は一門と言うよりは離散集合を繰り返す連合体でよく分かりませんが、旭富士の不知火型。不知火型は二所ノ関一門の琴櫻が型を残すためにイニング限定のリリーフ的に継承しましたが、二所ノ関に渡った不知火型は隆の里⇒若乃花3で断絶しましたので、不知火型は伊勢ヶ濱一門の系統ということになりますね。
再び失礼します。
平成時代に入り、新横綱に土俵入りを指導した経験の有る親方を記載します↓
第63代横綱・旭富士(不知火型)-元琴櫻・佐渡ヶ嶽親方
第64代横綱・曙(雲龍型)-元千代の富士・九重親方
第65代横綱・貴乃花(雲龍型)-元2代若乃花・間垣親方&元隆の里・鳴戸親方(ほか停年後の初代若乃花・前二子山親方も登場)
第66代横綱・若乃花(不知火型)-元隆の里・鳴戸親方(ほか前二子山親方・佐渡ヶ嶽親方も登場)
第67代横綱・武蔵丸(雲龍型)-元三重ノ海・武蔵川親方(武蔵丸の愛弟子)
第68代横綱・朝青龍(雲龍型)-元曙親方(現在相撲協会退職、格闘家・タレントに転身)
第69代横綱・白鵬(不知火型)-元旭富士・安治川(当時)親方
第70代横綱・日馬富士(不知火型)-元旭富士・伊勢ケ浜親方(日馬富士の愛弟子)
第71代横綱・鶴竜(雲龍型)-元貴乃花親方(一代年寄)
第72代横綱・稀勢の里(雲龍型)-元大乃国・芝田山親方
※もし間違ってる箇所が有りましたら、お知らせ下さいm(_ _)m
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