残業100時間今昔
週休2日制ならば一か月の実働は20日。
毎日3時間の残業×20日で月の残業60時間。
さらに毎週土曜日を休出して10時間づつ働くと、10時間×4日で休出40時間。
残業60時間+休出40時間=100時間。
8:30~17:30を定時勤務、18:00より残業となるモデルで考えますと、
平日は8:30~21:00勤務、土曜日は休出して8:30~20:00勤務、というペースで働くのが残業100時間という世界です。
私が社会人となって間もない90年代は珍しくもないことでした。もちろん私も経験があります。終電帰宅が続き、休出が2回もあった月は100時間を超えていた感じ。100時間を超える残業が常態化していた同僚もチラホラおり、彼らを指してワーカホリックと呼んだものです。
私たちアラフィフや更に上の年代の方々は、そういった実体験を元にして、某大学教授のように「残業の100時間くらいで情けない」などと思いがちですが、それを言葉に出したり書いたりして炎上を招く前に、現代の残業100時間と90年代の残業100時間は全く異質のものであるということを理解しなければなりません。
まず1つには、残業規制が強化されていることが挙げられます。
残業規制などほとんど無かった90年代の多くの職場では、計上された残業時間=実労働時間でした。
現代、これだけ法制上の制限がある中で月に100時間も残業させるような企業に法令遵守を期待できるわけもなく、残業100時間の他にサービス残業も発生していただろうなぁと想像できるのです。
もう1つは主にITの活用により業務効率がUPされていること。
業務効率がUPしたのならば仕事が楽になったのでは?と思うかもしれませんが、現実には真逆です。
例えば、90年代に4時間かかった仕事を、現代は1時間で出来るようになったとしても、残りの3時間を遊んで過ごせるわけではないので結局は90年代の4倍のアウトプットを求められるのですから労力は同じ。そして、ミスったときの損害も4倍なのですからプレッシャーが大きく増してます。そんな中での残業を月100時間もやれば、鬱にならない方が不思議と言えます。
経験上のことを言いますと、90年代は1つの仕事に長い時間がかかる分、仕事の進捗に緩急を付けることが可能だったのですよね。緩急の「緩」はタバコ部屋での談笑やコーヒーブレイク、「急」は残業や休出。緩急込みの残業100時間は心身ともさほどの負担にはなりません。
対して現代は、1つの仕事が短時間で終わる代わりに矢継ぎ早に次の仕事、また次の仕事とこなさねばならず、緩急の「緩」など入りこむ余地が無いのです。
マネージャー職は別にして、兵隊に100時間も残業させるような会社は業務効率を疑うべきでしょう。現代に求められる業務効率で100時間も残業させたら心身に支障が出ます。
100時間も残業させてるのに兵隊の心身に支障が出ないならば、それは20世紀レベルの業務効率であることの証左であり、業務効率を上げて残業手当の支出を減らせば利益率が上がるところを怠っているということになりますから、株主は訴訟を起こしてもいいんじゃね?とさえも言えます。
長い目で見るならば、残業を100時間もさせるような企業や、サービス残業を強いるような企業は淘汰されるに違いないのですが、今現在、過剰な残業やサービス残業に苛まれている弱者については救済の手を差し伸べなければなりません。
アラフィフの御同輩、体験論で「残業の100時間くらいで情けない」なんて言っちゃいけませんぜ。