公教育における三育分割論

知育・徳育・体育の三育をもって教育と成すわけですが、学校という教育機関が三育全てを担当することに無理が生じているような気がしてならないのです。

や、昔からのことではありませんで、学校が三育全てを担う様相となってきたのは平成に入ってからの話。昭和の昔は少なからず家庭(とくに母ちゃん)が担っておりました。

しかし、核家族化が行き着くところまで進み、共働きも2馬力フルタイム化する中では子供と接する時間を確保するのは難しく、さらには治安の悪化で子供を野放しに遊ばせることもできないという現状があります。

家庭が担うべき知育を塾で、家庭が担うべき体育と徳育をスポーツ少年団等で、補うことができる家庭はまだ良いのですが、塾は主に費用、スポーツ少年団は主に後援活動に対する負担感が大きく、結果として三育全てを学校に期待せざる得ない層がジワジワ増えての現在なのでありましょう。

このまま学校教育の負担が増えていけば、いつかはパンクして機能不全に陥るでしょうから、学校は三育のうちの知育に特化し、徳育と体育は別途に教育機関を設けるべきではないかなぁと思うのです。


とくに体育については、剣道スポーツ少年団で指導する立場の実感として、強くそう思います。

先述したように、子供を野放しにできない治安状態にある以上、幼年期から運動機能を整えるための体育を国や行政が提供する必要があります。

これは保育士・幼稚園教諭・小学校教諭の片手間で済む仕事ではありませんから、体育に特化した教育機関を設置し、そこから体育教師を保育園・幼稚園・小学校に派遣する形で体育指導を実施する…みたいな方法が一考されるべきでしょう。

その延長線として考えるべきこととして、中学校・高校における部活動に頼り過ぎているスポーツ指導と、体力差・性差・運動志向・宗教上の禁忌を考慮しない正課体育授業もまた、再考すべき時期に来ていると思います。

学校単位の部活動ではどうしてもスポーツの選択肢が限られます。
通う学校にやりたいスポーツが無い場合、そのスポーツをあきらめることになるという現状は、リオ五輪でメダルラッシュに沸いた日本にあるまじきスポーツ環境です。

幸いに志望するスポーツの部活動があったとしても、顧問が素人である場合も多く、顧問がそのスポーツの経験者でも指導者としての正式資格が無い場合も含めれば、正しい指導を受けられない中高生はかなりの割合となるでしょう。

また、中学生期の二年半、高校生期の二年半で燃え尽きることを促す部活動は、世界に通用するアスリートを育むことや、国民の健康維持のための生涯スポーツへの移行を妨げているとさえ言えます。

やはりここでも体育に特化した教育機関を設置し、体育教師や部活動指導のために教師となった教員をそちらに移籍させ、そこから体育教師を各学校やスポーツ団体に派遣する…みたいな方法が一考されるべきだと思うのです。

体育の授業で、陸上も体操も球技も水泳も格技も同じ1人の体育教師から指導されるというのは、指導される側もする側も不幸なことです。

体育の授業といえども、陸上は陸上の、体操は体操の、球技は各球技の、水泳は水泳の、そして剣道は剣道の指導者が指導した方が良いというのは、誰が考えたってそう思うでしょうけど、それが出来ないのが日本のスポーツ環境の現状なのですよね。

やはり、体育は学校から分離させた方が良いと思います。


さて、徳育ですが、こちらも体育と同様に学校教育から分離した方が良いと思うのですが、国教が無く、信仰の自由どころか信仰に無分別な日本の場合、何を軸に徳育を施すべきかが大きな課題として存在します。

諸外国の多くは宗教がそれを担ってますが、日本では同じことができません。とても難しいことですね。

とはいえ、学校にそれを望むのも酷な話でありますし、かといって家庭ではその力が薄まりつつあるという現実もありますから、やはり徳育も学校教育から分離する方向で考えるべきかとは思います。

体育分離論より大きくなりそうなので、またの機会とさせて頂きます。A^^;


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