一期一会

6月16日と17日は高校剣道インターハイ茨城県予選の団体戦が行われました。
まだ21日に個人戦があるのですが、個人戦登録のない次男にとっては団体戦が高校生活最後の公式戦となりますので、男子団体戦が行われた16日は会場のカシマスポーツセンターでカミさんと共に観戦しました。

次男所属の高校剣道部男子チームは健闘しましたが、3回戦で第1シード校に完敗。

しかしながら、彼の高校生活最後の公式戦は見事なものでした。
強豪を相手に最後の最後まで勝負をあきらめることなく果敢に攻め続けたあの試合は、彼の高校剣道2年3ヶ月の集大成と言ってもよいでしょう。

わが子ながら大したものであります。彼の剣道部仲間と先生のご指導に深く感謝します。


観戦した他校の試合も含めて感じたことですが、先月の関東予選よりも、なにか胸に訴えるものがある試合が多いのは、やはり「この試合が最後になるかもしれない」という意識の働きによるものではないかと思います。

インターハイに出場する1校を除き、3年生にとっては高校生活最後の公式戦。2年生や1年生にとっては先輩と一緒に闘える最後の公式戦。

となれば、誰だって悔いなき闘いをしたいし、誰だってベストを尽くしたいし、誰だって最高のパフォーマンスを発揮して最高の結果を得たい。
そういう意識と意識がぶつかりあうのですから、良い試合が頻発するのも当然なのですよね。

一期一会という言葉がアタマに浮かびました。

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。
茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。

一期一会 – Wikipedia

この試合が最後になるかもしれない。
この稽古が最後になるかもしれない。
ならば、可能な限りのベストを尽くして悔いなきようにしたい。
最高のパフォーマンスを発揮して最高の結果を得たい。

いつもそのような意識の下で稽古や試合を積み重ねたならば、インターハイ予選で観たような良い試合や良い稽古が、良い経験として積み重なるわけですから、成長の度合いは段違いのものとなるでしょう。

とはいえ、なかなかそのような意識を持てませんし、ましてや剣道部と言う単位で共有することなど至難の業であり、だからこそ「一期一会」という言葉が取り上げられるわけです。

私くらいの年齢(=アラフィフ)になりますと、「最後」というものは思いもよらず突然やってくるということを経験から知ってます。

近親者や友人の「死」という「最後(最期)」を十指に余るほど見ており、とくに急逝された際には「会っておけばよかった」「言葉を交わしておけばよかった」「酒を酌み交わしたかった」といった悔恨を経験してますからね。

なので、一期一会を意識することは易いのですが、いかんせん年齢的にノビシロがほとんど無いので劇的な成長は期待できません。

逆に、成長期に一期一会を意識できるようになったならば、おそらくは驚くような成長が得られるのでしょうけれども、まだ短い人生経験の中、一期一会を意識させられるような「最後」に出会うことは稀であり、よほど優れた師に恵まれでもしない限りは得られない境地であるようにも思えます。

その点、私の3人の子供にとっての祖父である私の父が昨年10月に急逝したことは、成長期の彼らに一期一会の意識を持たせる契機となったかもしれません。
インターハイ予選の出掛けに、次男がいつも通り祖父の仏前で合掌する姿を見て、そんなことを思った梅雨の朝でした。




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