国家元首による謝罪の重み

伊勢志摩サミット後、米国のオバマ大統領が広島の平和公園を訪れて献花されたとのこと。
なお、スピーチに謝罪は含まれませんでした。

オバマ大統領の広島訪問予定が明らかになって以降、広島と長崎への原爆投下についての謝罪を求める声がちらほら聞こえました。

私も、原爆投下と数々の空襲は当時の国際法上も明々白々たる戦争犯罪であり、人種差別的偏見も加わった上での大虐殺だったと考えている者ですから、謝罪を求める気持ちもよく分かるのですが、それが無理な注文であり、現実には起きえないことであることも分かっていたつもりです。

バラク・オバマ氏一個人の心情や政治的主張がどうであれ、彼は一個人ではなく国家元首たる大統領職にある者として広島を訪れたからには、米国の国内で原爆投下が過ちであったとする世論が醸成されてない以上、国家元首たる大統領職にある者として謝罪できるわけがないのです。

それでも精一杯に踏み込んでの今回の献花でありますから、任期満了間近の大統領による思い出作りというような意地悪な見方もありますが、それを差し引いても、とても有意義なことだと評価しております。


現実に起こりようもないオバマ大統領の謝罪を期待してしまうというのは、国家元首の役割を理解していないからでしょう。

日本が戦後70年余りもの長きに渡って国家元首不在のままでいたためか、あるいは東アジアの国家元首達の振る舞いがあまりにも軽いためなのかは分かりませんが、日本の外交音痴の病巣であるかもしれません。

国家元首とは国の象徴です。
その国家元首が謝罪するということは、国家として謝罪するということであり、その謝罪を打ち消すことは原則的に出来ません。

対して、首相は行政府の長でしかありません。
その首相が謝罪するということも軽いものではありませんが、政権交代等を理由に取り消したり訂正したりすることは充分に可能です。だから「村山談話」を継承するのか否かを首相交代の度に問われるわけでして…

大統領職は行政の長としての判断による言動と国家元首としての言動が混在するので分かりにくいかもしれませんが、立憲君主国である英国を例にとれば理解して頂けますでしょうか?
エリザベス女王が過去の戦争や植民地支配について謝罪したならば驚天動地の衝撃が世界中を走るでしょう。
国家元首の謝罪の重さとは、そういうものなのです。




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