熟成 稀勢の里

大相撲夏場所、稀勢の里が2場所連続の初日から10連勝。
未完のまま終えるのではと思われた大器は、ようやくにしてその器を力という名の水で満たした様子。

稀勢の里が幕内で序盤を5戦全勝としたことは今場所を含めて7回。
今場所を含めて20回もの2桁勝利を記録している稀勢の里でありますから「たった7回」と言わねばなりません。

それほどまでに下位力士との取組での取りこぼしが多く、やれ腰高だ、やれ脇が甘い、やれ立合が鈍い、と言われ放題の稀勢の里が、初となる2場所連続の序盤全勝、さらには2場所連続の中日勝ち越し、そして2場所連続の初日から10連勝。いったい何が変わったのでしょうか?

取口は今までと同じ。
左四つ右上手から寄り立てる相撲と、左ハズ右おっつけの押し相撲。

手足の長さからくる腰高と脇の甘さも体型に変化が無い以上は今までと同じ。

立合も今までと同じ。
相手の左肩にアタマで当たりつつの左差し狙いか、右張り左差し胸で受ける形の二者択一。
鋭さを増したわけでもないし、変化という声もあった先場所の琴奨菊戦の立合も前者の枠内でしかない。

そんなわけで識者は言う。
稀勢の里は心技体の「心」が今までと違うのだ。
だから表情も違うし、特徴的なまばたきも減った。自信に満ち溢れている。
琴奨菊の優勝が目を覚まさせたのかもしれない。

しかし、「心」を稀勢の里大躍進の要因としてしまうのは一足飛びに過ぎますよ。

私も武道を嗜む者ですから「心」の大切さは重々承知しておりますけれども、技術的根拠なしに「心」の保ち方だけで自信を持って戦えるかと問うならば、その答は否。

ここで技術的根拠を述べるのか、それとも一般受けしやすい形で精神論を並べるのか、相撲解説者の誠意が問われるところです。

前者の代表例としては元栃東の玉ノ井親方、後者の代表例としてはシュウヘイヘイ。勝昭兄貴はシュウヘイヘイと同列にいると見せかけて不意に納得させられる技術的根拠を出すから油断できないw

で、玉ノ井親方らによる技術論に長けた解説を帰宅途中のラジオで聴く中、我が意を得たりと納得している稀勢の里の変化点は以下のとおり。

○終始一貫して腰が立たずに前傾を保てている
○土俵に吸いついているかのような足の運びと構え
○右上手を取り急がずに相撲の流れの中で得る
○攻めを休まないし相手を休ませない

まー、要するに稀勢の里の相撲という器の形は変えないまま内容を満たしたということであり、一般的には分かりにくく、説明のしづらい所ではあります。
しかし、そこを説明することなく精神論で一般受けを狙うのでは、相撲解説者としての誠意が疑われてしまうでしょう。

思わぬシュウヘイヘイ批判となってしまいましたが、少ないながらも存在する良心的な相撲解説者が言うように稀勢の里大躍進には技術的根拠がありまして、さらに大きな追い風もあるのです。

それは立合の正常化。
Twitterの#sumo部には大不評のそれですが、稀勢の里にはありがたい措置です。

たしかに審判部のやり方はあかんのです。
だって夏場所初日を目前に控えた力士会に乱入していきなりの立合正常化宣言ですからね。もう既に立合の形は完成しちゃってる段階でそんなこと言われましても…というのが大部分の力士の本音ではないでしょうか?

それに、今のところ立合の手着きを取り締まってるだけですからね。

手着き不十分ながらも合気の立合というものは存在し、実際、手着き不十分も合気ゆえに止める術なく立合成立となった取組もあれば、合気で立ったのに無理矢理に止められての手着き不十分で立合不成立となった取組もありました。

逆に、大横綱などはその代表例ですが、手着きを利用して合気を避ける立合も存在するのですから、力士や観衆に不公平感が渦巻くのも当然というものです。

しかしながら、手着き不十分の立合が許されないという状況は、合気を避けられる範囲が狭くなるということですから、例えば「白鵬が片手を下ろす、稀勢の里が片手を下ろす、稀勢の里がもう片方を下ろすも白鵬に立つ気配が無いので戻す、ここで白鵬が立つ」といった類のペテンに悩まされることが無くなるのです。やー、ありがたい。

熟成した稀勢の里に立合正常化という追い風。あとは相撲の神様のご機嫌次第。
でもきっと、あの気まぐれな神様も稀勢の里を好まれてると思うんだ。




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