終戦祈念日

毎年同じ事を書いている気がしますけれども、今年も書きます。

昭和20年(1945年)8月15日、玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)によって日本の降伏が国民に公表されたことから、毎年8月15日は「終戦の日」とされているわけですけれども、この日を「終戦の日」と呼ぶには昭和20年8月15日以降の戦死者が多過ぎます。

その詳細を書くのはいたずらに長文化を招きますので避けますけれども、南樺太、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の占領をもってソ連の対日侵略が終結したのは昭和20年9月5日であること、約53,000人もの死者を出したシベリア抑留者47万3000人の帰国事業が終わったのが11年後の1956年であるということを筆頭に、昭和20年8月15日以降の戦死者が、どう少なく見積もっても10万人を下らないという事実はもっと広く知って頂きたいものです。

その前提で考えたとき、私は8月15日を「終戦の日」とは呼びたくありません。昭和20年8月15日以降の戦死者を蔑ろにするような気がするのです。

ましてや「終戦記念日」などとは絶対に言いたくありません。

そもそも「終戦」=「刀を納めた」なんてキレイなもんじゃなく「敗戦」であり「降伏」なのです。それも、帝都たる東京を筆頭にほぼ全ての主要都市を焼け野原にされた挙げ句、原爆などという非人道的兵器を2発も落とされての完膚無きまでの「敗戦」です。

そして「記念日」というものは通常は「祝日」を指すものです。母国の敗戦あるいは降伏をアニバーサリーとする感覚は、私としては全く受け付けられないものです。

なので、私は「終戦祈念日」という字を当て、8月15日をそう呼ぶことにしてます。
北方領土が日本の手に戻り、日本が自力防衛できる体制を整えることで進駐軍=米軍基地が無くなることにより初めて「終戦」と言えます。8月15日は「終戦」を「祈念」する「日」なのです。


その意味で、なぜ8月15日に終戦とならなかったのか?と、考えることが肝要かと思います。ウクライナで、ガザで、その他世界中様々な地域で起きている紛争は、終戦=刀を納めることの難しさを表してますからね。

実を言えば、私はその「なぜ?」の答をまだ知りません。
なぜ8月15日なのか?
どなたかご教示を願えないものでしょうか?


その疑問の諸端は長岡花火にあります。

長岡花火は昭和20年8月1日の長岡空襲で亡くなった1,470名もの市民を追悼し、焼け野原からの復興を祈念する目的で開催されているものであり、ゆえに開催日が8月2日と3日に固定されてます。

ちょいと日本地図を開いて頂き、新潟県長岡市の場所を確認して頂きたいのですが、太平洋上の空母や米軍基地からB-29が長岡市に飛来する前に、もっと規模の大きな都市や、軍事的に重要な地点がいくらでもあります。

なのになぜ長岡に?
開戦の火ぶたを切った真珠湾攻撃の総指揮者である山本五十六連合艦隊司令長官の生地であったから……という理由の前に、もっと明白な理由があります。

以下に記しますのは長岡空襲より前にやられた空襲のうち「大空襲」と呼ばれるものだけピックアップしたものですが…

3月10日 東京大空襲
3月12日 名古屋大空襲(1)
3月13日 大阪大空襲(1)
3月17日 神戸大空襲(1)
3月17日 小倉大空襲
3月19日 名古屋大空襲(2)
4月13日 城北大空襲(東京)
4月15日 城南京浜大空襲(東京)
5月10日 徳山大空襲
5月14日 名古屋大空襲(3)
5月25日 山手大空襲(東京)
5月29日 横浜大空襲
5月31日 台北大空襲
6月 1日 大阪大空襲(2)
6月 5日 神戸大空襲(2)
6月 7日 大阪大空襲(3)
6月15日 大阪大空襲(4)
6月17日 鹿児島大空襲
6月19日 福岡大空襲
6月19日 静岡大空襲
6月26日 大阪大空襲(5)
6月28日 呉大空襲
6月29日 佐世保大空襲
7月 1日 熊本大空襲
7月 3日 姫路大空襲
7月 4日 徳島大空襲
7月 4日 高知大空襲
7月 7日 清水大空襲
7月 9日 和歌山大空襲
7月10日 大阪大空襲(6)
7月12日 宇都宮大空襲
7月16日 平塚大空襲
7月17日 沼津大空襲
7月24日 津大空襲
7月24日 大阪大空襲(7)
7月26日 松山大空襲
7月28日 青森大空襲

「大空襲」と呼ばれるものだけで↑このとおり↑ですからね。
これに「空襲」を含めたら200以上の件数となります。

つまり、長岡に飛来するまでに通過する都市は全て空襲済みだった というのが長岡空襲の理由。

山本五十六への遺恨などという理由がまことしやかに囁かれるほど、戦略上の攻撃理由が存在しない長岡が空襲を受けるに至るまで制空権も制海権もズタズタに破られているのに、降伏、またはその他の方法で戦争を終結できなかったのはなぜか?

とくに首都である東京が大空襲を受けた3月10日。あるいはその後3回の大空襲で東京が焼け野原となった5月25日。(あくまでも現代からの視点ですが)この時点で誰がどう考えたって日本の敗戦は必至であったと思えるのに、玉音放送の8月15日まで2ヶ月半もかかってしまったのはなぜなのか?

もっと早く、もっと良い条件で「終戦」を迎えることは可能だったのではないのか?
もしかしたら長岡空襲も原爆投下も避けられたかもしれないのに、それが出来なかったのはなぜなのか?

こういったことを考えるべき8月15日だと思うのですが、せいぜい「戦前の首脳部がバカだったから」とか「そのようなことが言える状況では無かったから」程度の話で終わってしまいます。それは思考停止というものであり、現在も起きている戦争や紛争を終戦に導くヒントのかけらにさえなりません。

そして、なぜか毎年8月15日は、戦争すなわち開戦したことそのものを反省させられる空気に満ちあふれてしまいます。まー、それも必要なのかもしれませんし、それについては私も異論があるのですけれども、それは12月8日=真珠湾攻撃の日になさってはいかがなものでしょうか。


今年はどのような話が聞こえてくるのか?
いつもと同じかな? と思いつつ、今日も高校剣道部合宿に顔出してきます。 A^^;




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