戦犯探しはいらない
サッカーW杯ブラジル大会、日本時間で今朝(6/25)に行われたコロンビア戦で敗れた日本はグループリーグ最下位に沈んでの敗退が決定しました。
サッカーはよく分からないので「よく頑張った」とも「残念でした」とも言えないのですが、日本代表ならびにサポーターの皆様には「おつかれさまでした」と、まずは労いたい。
さて、オリンピックほか、様々な競技のW杯が開催されるたびに思うのですが、大会前、選手および競技団体がモチベーション維持のために掲げる高い目標設定を、さもそれがノルマであるかのような誤解に読者を誘う客観性を欠いた報道が蔓延り、大会後(とくに今回のような敗退後)に戦犯吊るし上げが始まるというこの悪循環、断ち切る術は無いものでしょうか?
そもそも「戦犯」という言葉自体が嫌いなのですよ。
戦犯とは、先の大戦における戦争犯罪人を語源として使われる言葉ですが、戦勝国視点で一方的に裁かれた結果の戦犯であり、開戦に至った原因と戦犯、ましてや敗戦原因と戦犯は、必ずしも一致するものではありません。
しかし戦後の日本は、
- 当時の世界情勢と日本の置かれた立場で開戦以外の選択肢は取りえたのか?
- 軍部の突出や陸海軍の齟齬はなぜ生じたのか?
- 開戦を煽り、戦意を鼓舞する役割を担った新聞各社の責任は?
といった振り返りや反省が不十分なまま、全ては戦犯が原因で、全ては戦犯が悪かったことにして蓋を閉じてしまいました。
その意味では、サッカーやプロ野球のオフシーズン名物である戦犯探しも、まったく同じ意味合いと役割を持つものです。戦犯をサンドバック化することによるフラストレーション解消の代償として、真の敗因分析に滞りが生じ、国レベルでの競技力向上の妨げとなりますからね。
良い言葉があるじゃないですか。
「罪を憎んで人を憎まず」これですよ。
私は組み込み系のソフト屋でもあるのですが、「バグを憎んで人を憎まず」というふうに転用してます。
バグ含みのコードを生成した同僚を悪しざまに罵れば少しは気が済むかもしれませんが、その罵っている時間と、同僚がモチベーションを回復するのに要する時間を考えれば無駄の極み。
そんな時間があるなら、第三者的な視点を提供してバグが発生した真因を見つけ、同様のバグの存在有無を確認し、バグ修正による他への影響を調査した上で、再発防止策を講じる、といったことをした方がはるかに良い結果を生みます。
どうかひとつ、結果はともかく奮戦したサッカー日本代表に対しても、「GL敗退を憎んでザックJAPANを憎まず」でお願いしたいものです。