ニックネームを甚之介とした理由

カミさんが本棚を整理してくれまして、作者毎にきれいに並べられている亡き親父殿の文庫本を眺めてますと「おや?あれがない」と気付きました。
池波正太郎著作の剣客商売シリーズの6冊目にあたる「剣客商売・新妻」がありません。
他の巻は揃っているのにこの一冊だけ抜けているのも嫌だったのもありますけれど、私がネット上のニックネームとして使用している「甚之介」が、「剣客商売・新妻」の巻頭に納められている「鷲鼻の武士」で初登場となる渡部甚之介から拝借しているので、それが本棚から欠けているのは嫌だったので……買ってきちゃいました。A^^;
なぜ「甚之介」という名前を拝借したのかと言いますと、渡部甚之介は「鷲鼻の武士」という話における中心人物なのですが、その話の中で甚之介と主役の一人である秋山大治郎との会話の中で表現される甚之介と剣術の関係が、私と剣道の関係に似ているのです。
以下、引用。
いまは廃絶してしまっているが、当時、本所の石原町に牧山右平太という一刀流の剣客が道場を構えてい、甚之介は十歳の折に入門し、約十年を、たゆまずに精進したのであった。
「父も母も、お前のようなものに、よう剣術ができるものだ、などと、あきれてましたが・・・・・・やはり、何といいますか、性に合っている。おぼえも遅く、剣のすじもよくないのですが、どうしても、やめられなかった。叩かれても突かれても、怪我だらけになっても、道場へ通うのが、おもしろくてたまらない」
「なるほど」
これは、大治郎にも、おぼえがあることだ。
このことについては、筆や口にはいいつくせぬ。
ことに、少年のころから稽古をはじめた者には、理屈ではなく、我が手に木太刀をつかみ、相手と闘うとき、おのれの若い肉体の感能の一つ一つが目ざめてきて、頭脳より先ず、肉体が納得してしまうのである。
そうした肉体を、生まれながらにもっている者のみにしか、それは、わからぬことである。
けれども、剣客として大成するかせぬかは、別のことだ。
私も上記とまったく同様の感覚を、剣道に対して持ってます。
ほかにも、
- 入門した歳(私の方が1歳早い程度)
- 剣に精進した時期(私は高校卒業までなので、数年早く”楽しむ剣道”へ)
- 剣客(剣道家)としては大成していない
- けれども道場(剣道教室)を任されている
- 大食漢
といったあたりが重なり、ほとんど私の分身が剣客商売に登場しているかのようで、もはや他人とは思えないのです。
そして”たれ目”。
渡部甚之介の両眼は、たれ下がった瞼の中で
「笑っているのだか、泣いているのだか・・・・・・」
さっぱり、わからぬのである。
私の場合、いつも笑っているように見えるようですが(笑
そんなわけで、ネット上では「甚之介」と名乗らせて頂いてます。
かれこれもう10年以上名乗ってますうちに、Facebookなどでは実名で活動するケースも増え、私の名前や素性などは簡単に割れてしまう状況ではありますが、もはやペンネームみたいなもので、今更実名や他の名前で活動する気は起きませんね。
と、いうわけで、今後とも甚之介という名で活動しますので、宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m