大黒戦を憶う

カミさんの実家=越後長岡に滞在中であります。
長岡滞在中にちょいと時間が空きますと山本五十六記念館を訪れることにしてまして、本日も立ち寄りました。

同記念館は展示室がワンフロアの小さなミュージアムで、もう十数回は訪れてますから展示物は余すことなく拝見済みなのですが、にも関わらず何度も訪問するのは、フロアの左奥に展示されている山本五十六元帥作書の七言絶句「大黒戦を憶う」を眺めに行くのですね。

山本五十六記念館

山本五十六記念館

(大黒戦を憶う)
君仕忠勤三百年 勇猛至誠鉄石心
鋸嶽山頂名月夜 誰語維新大黒戦
山本五十六

この句に出てくる「維新大黒の戦」とは、激烈を極めた北越戊辰戦争の中でも屈指の大激戦地となった、現在の長岡市大黒における明治新政府軍と長岡藩の戦いを指します。

北越戊辰戦争について詳細を書くことは避けますが、長岡藩がやむにやまれず強大な明治新政府軍と戦わざるえない状況になり、勝算乏しき中でも勇猛果敢に戦って、最終的には会津に敗走することになるも新政府軍に大打撃を与えた戦いのことを「維新大黒の戦」と呼んでます。

山本五十六中将(当時)揮毫の戊辰戦蹟記念碑

山本五十六中将(当時)揮毫の戊辰戦蹟記念碑

中将時代、大黒古戦場跡に建てられた記念碑に揮毫したほどの山本五十六ですから、その戦が長岡人の「勇猛至誠鉄石心」を示しただけではなく、長岡城下を焼け野原にしたことも、賊軍の汚名を被りつつの復興が辛酸を極める苦労を要するものであったことも、充分に分かっているはずです。

にも関わらず、望まぬ日米開戦の先頭に立たざるえない立場に置かれ、勝算乏しき中で全知全能を懸けた精一杯の戦いに挑みつつ、敗戦後の日本国民の辛酸をも理解している山本五十六元帥の心中はいかなるものだったのだろうかと、あの七言絶句の書を前にすると毎度毎度立ち尽くすのです。

まだ山本元帥の心を理解できるほどには男の修行が足りていないのでしょうね。




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