序盤から優勝を占うことの愚

大相撲秋場所も中日を終えて、あっと驚く大関豪栄道中日勝ち越し角番クリアと隠岐の海による横綱大関なぎ倒しに目を見張る思いでありますが、それはさておき、序盤戦から優勝展開評が大安売りされることに物申したい。

大関稀勢の里の横綱昇進条件が「優勝すること」であり、その稀勢の里が序盤で平幕に2敗を喫したのだから仕方がないと言えば仕方のないことかもしれないけれど、それを差し引いても、序盤戦(初日~五日目)で幕内最高優勝について言及することに意義があるとは思えないのです。

4~9月の間に争われるプロ野球のペナントレースに例えるならば、5月の段階で「もうベイスターズの優勝は難しいですね」と実況や解説が宣うようなものですが、当然ながら実況を務める局アナも解説を務める元プロ野球選手もそのようなこと言いません。

その第1理由は、5月に借金11のダントツ最下位だったベイスターズが、ペナントレース最終盤の現在はCS出場の第三位をほぼ掌中に収めていることからも分かるように、序盤の勝敗で順位を予想できる道理が無いからです。

そして第2の理由こそが大事なのですが、優勝の可能性を否定されたチームのファンが面白くない思いをするからですよ。プロ野球でメシを食っている者がペナントレースを白けさせるような物言いをしたって誰も得をしないでしょ。

でもね、不思議なことに大相撲の実況と解説はそうじゃないのですね。

無敵無双時代の白鵬や千代の富士がいるならともかく、誰が優勝するか分からない状態の今場所、2横綱4大関という構成を考えれば優勝ラインが12勝まで下がることもあり得るわけで、序盤に1~2敗したところでそれが優勝戦線にどう影響するかなんて分かるわけもないのです。しかし実況は簡単に「優勝は?」と問い、解説は「難しいですね」と即答してしまう。これはとても不誠実な姿勢です。

そして、黒星を喫した分だけ優勝の可能性が遠のくなんてことは相撲の素人だって分かることなのに、それをわざわざ口にすることでファンを白けさせてます。

たとえ慧眼をもってして初日に「あ、これは優勝できる状態ではないな。」と分かったとしても、公共電波上では「いやいやまだまだ分かりませんよ」とするのが、解説者である前に大相撲でメシを食っている者の務めであります。
また、そんな野暮天を言わせるような問いを、実況である前に視聴率を稼がなければならない局アナである者がやってはいけないのですよ。

今場所に限った話ではありませんが、初日から少しでも隙間があれば「優勝は」「優勝は」の連呼でホント食傷気味を通り越してお腹いっぱいなのです。

まずは目の前の一番に集中し、今まさに闘わんとしている力士両雄についての実況と解説がほしいのに、時間いっぱいになるまで両力士の四股名も出ないような実況&解説ばかり。腹立たしい思いをしているのは、私一人ではないと思うのですけどね。

実況と解説のない、館内の音だけを流してくれる副音声がほしいとさえ思う今場所、善処を求めたいものです。




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Comments (4)

  1. 相撲評論家

    昨日の宇良の最後のしがみつきについて「あれはいけません」と即座に言えず、喜んでしまうんですから期待薄です…

    それはともかく、優勝制度は要らないと常々思っている私にとってはなおさらです。
    星数だけで決まるのでつまらないんです。
    15勝でも11勝でも最高成績であれば優勝ですし、どれだけ相撲内容が低くても何の関係もない…本当につまらないです。

    この力士のどこが良くてどこが悪いか(個人的には後者のほうが勉強になると思うんですが)をしっかりやってほしいです。
    #今場所の場合は、特に幕内前半戦が単調ですので、ネタ確保に苦慮する可能性はありますが

    Reply
    1. 甚之介 (Post author)

      相撲評論家さま、コメントありがとうございます。
      返信が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。

      宇良のしがみつきに関してもそうですが、どうも応としかねる実況解説が多いように思えます。
      さすがに「優勝制度は要らない」とまでは”まだ”言いませんが、「幕内最高優勝」という呼び名に相応しい相撲内容かと疑問に思うケースも増えてきました。
      この先どこへ向かうのか?という問いに日本相撲協会は応えてくれるでしょうか?

      相撲評論家様の総括を心待ちにしております。

      Reply
  2. 相撲評論家

    最多勝者(正確には最多勝越者ですが)に対する報いがないのはいかがなものか、というところもあるので、優勝制度が要らないというのは極論なんですけどね。
    ただ、
    ・相撲内容とは無関係に決まる
    ・勝ち数さえ積み上がればよいので、結果だけを取りにいく相撲が出現する(こちらは勝ち越しにも言えるんですが、そちらは生活が懸かっているというもっと究極的な理由も入りうるので、非難一辺倒にしてよいのか非常に難しくなりますね)
    という負の側面があって、私にとっては非常に大きな欠点として映り、たいへんつまらないと思っています。
    当人の意志がどうであるかは不明として、結果だけを取りにいったように見えるものとしては、古いところですと昭和31年3月の若ノ花(失敗していますが)あたりからもうあって、近いところで探せば12年7月の出島、14年1月の栃東、19年3月の白鵬、28年3月の白鵬というように出てきますね。
    #負けることそのものに対する非難が大きくなりがちな横綱の場合、優勝云々と全く無関係に1場所に1回は立ち合いざま飛ぶというのが昭和50年代までは普通でしたが…
    相撲内容が無関係ということは、結果だけを取りにいくという相撲が出現するということにもつながるんですが、優勝とそれ以外との価値比較が狂うことにもつながっているように思います。
    15戦全勝の優勝同点より11勝の優勝のほうが、相撲内容が同程度であっても(あるいは前者が上廻っていても)高く評価される…どころか、前者は価値なしとさえ見られかねない…危険性がすでに見えています。
    優勝かどうかというのが分かりやすい基準であるというのは、私には非常に分かりにくいことです。

    Reply
    1. 甚之介 (Post author)

      相撲評論家さま、コメントありがとうございます。
      「優勝かどうかというのが分かりやすい基準であるというのは、私には非常に分かりにくいことです。」
      これに尽きますね。横綱論に及びますけれども。

      話は変わりますが、相撲評論家さまの総括を拝見しまして、平幕のいの一番に貴ノ岩を挙げて頂きましたことに嬉しく思いました。今場所の貴ノ岩、負けっぷりが実によろしく、Twitter等でも何度かその旨を述べていたのですが、あまり賛同を得られずモヤモヤしておりまして。A^^;

      Reply

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