神前と正面と正面性と

某ラジオ番組のようなタイトルになってしまったのはご愛嬌。A^^;

正面礼について、皆様は理解を得ておりますでしょうか?
私はと言いますと、剣道指導者の末席に居る者として情けない限りですが、理解半分というところです。

実は過去記事で取り上げながら放置していた宿題なのですが、ふとしたきっかけで思い出し、更なる迷宮へと入り込んでしまいました。

その迷宮に、皆様を巻き込んでしまおうと思ってます。


世界的経済紙Forbesの日本版で、佐藤まり子さんが海外の剣道事情を紹介してくださる連載を持っておられまして、私は初回より愛読してます。

上の行に貼ったリンクから皆様もご一読頂けると嬉しく思います。

実は今回、正面礼についての考察という宿題を思い出したきっかけが、佐藤まり子さんの連載最新記事なのです。

その中で、正面礼について、正面に礼は「ゴッド(神様)に礼だ」と返して納得してもらえたというエピソードが紹介されていて、それが私の心の琴線に触れました。

で、こんなツイート↓を投下するに至り、迷宮へと誘われたのでした。A^^;


考察その1・神とゴッドと神前と

ごく一般的な日本人の感覚で「神」とは八百万の神です。
森羅万象それぞれに神が宿るという考え方のもと、山での安全祈念と収穫への感謝を示すために山神を神社に祀り、海での安全祈念と豊漁への感謝を示すために海神を神社に祀るのと同様に、道場での安全祈念と剣道を構成する全てのモノへの感謝を示すために剣の神と武の神を神棚に祀ります。

剣の神=鹿島大明神=タケミカヅチ
武の神=香取大明神=フツヌシ

ただし、山神や海神を神社に祀る例と比較すると信仰色は極めて薄く、剣道を構成する全てのモノ(”物”に限らないという意味で”モノ”)への感謝の誠を示すためのシンボリックな存在に限定した形で祀られているため、本来は二拝二拍手一拝とすべき礼拝を省略した形(立礼および座礼)で簡素に済ませてます。

さて、キリスト教やユダヤ教におけるゴッド(GOD)は、森羅万象を創造して司る存在です。日本的考え方における八百万の神が存在するならば、その全てを統べるのがゴッドということになります。

よって、道場の神棚に祀る鹿島様や香取様もゴッドの一部という解釈が成立しますから、神=ゴッドという説明もあながち間違いではありません。

しかしながら、剣武のシンボルに限定される鹿島様と香取様の二神と比較して、ゴッドという存在はあまりにも大きく、それを礼の対象にしてしまうと信仰色が一気に濃くなります。

一神教信者に神=ゴッドとして正面礼の説明をした場合、お相手の信仰の深さにもよりますが、礼拝を立礼や座礼のような簡素な形で済ませることに少なからず疑問が生じるでしょうし、ましてや神棚のような異教の形で祀ることなどは禁忌行為でしょう。

そういった軋轢を呼びかねないことを考えますと、神=ゴッドとして神前=正面への礼と説明することは難しいのではないかと思うのです。

その意味では、神前に限定せず正面とすることで神棚の有無を問わないようにし、剣道を構成する全てのモノへの感謝の誠を示すためのシンボルとして正面に国旗や団体旗を設置し、それに対して礼を表すという現在主流の方法は、良き落としどころなのかもしれません。

偉そうに述べてしまいましたが、あくまでも海外経験がゼロの私の考察ですので、もしかしたらそこまで重く考えなくても良いのかもしれませんが…。


考察その2・正面と正面性と観客席と

なんか消化不良の感も残るのですが、「神棚、国旗、団体旗などを設置している所を正面とし、正面礼は剣道を構成する全てのモノへの感謝の心を示すために実施され、そこに宗教性は含まれない。」という理解は、日本国内・海外を問わず共有できるものと思います。

迷宮はここから。A^^;

上記で挙げた「神棚、国旗、団体旗などを設置している所を正面とし」というのは物事の順序からすると逆なのです。

道場や体育館など建築物の正面性を考えますと、採光の関係により南側に入口や窓などの開口部が設けられ、採光した光を受ける側になる北側を正面とする例が一般的です。

あくまでも一般例であり、地形や周辺建築物の関係で南以外の方角から採光する場合や、地下室などの自然採光が得られない建築物の場合は、必ずしも北側が正面になるとは限らないのですが、いずれにせよ真っ当な建築物は正面性を考慮した設計がされてますので、建物の正面や各フロアの正面はあらかじめ定められてます。

つまり、物事の順序からすると「神棚、国旗、団体旗などを設置している所を正面とし」ではなく、まず道場や試合場の正面は建築物の正面性の観点から定められていて、そこに神棚、国旗、団体旗などを設置しているということです。

神棚が道場の建築物としての正面上部に設置されるのは、神棚中央部に設置される神鏡に自然採光した光を当てるため。

公設私設を問わず、道場には必ず神棚が設置されていた時代は当然にして神前礼だったわけです。

しかし、昭和の戦後以降は公の施設における宗教分離が徹底されたことにより、公設体育館はもちろんのこと、公設体育館内の道場にも神棚を設置することは難しくなりました。

その結果、神棚と同じく正面に設置される国旗や団体旗への礼をもって神前礼の代替とすることになり、神棚も国旗も団体旗も正面に設置されるがゆえに「正面に!礼!」なのです。


ところが、建築物としての正面と、国旗掲揚の場所が一致しない例があります。や、増えていると言うべきかと思います。

常設観客席のある体育館の多くがそれに該当します。
具体的に言いますと、ステージと旗掲揚ポールが競技場を挟んで対面に存在するケースが多いのです。

そのような体育館で剣道大会を開催した場合、建築物としての正面性を考えれば、体育館競技場内においての顔に相当するステージが正面なのですが、剣道における正面は国旗が掲揚されている旗掲揚ポール側ということになり、どちらを正面とするかの判断が分かれてしまうのです。

Aが国旗を正面とした場合、Bがステージを正面とした場合、それぞれ以下のようになります

A:開会式と閉会式は国旗に正対する「正面に礼」、試合の正面礼も同じ
B:開会式と閉会式は国旗に正対する「国旗に礼」、試合の正面礼はステージに正対する「正面に礼」

これまでの話の流れから「Aが正しく、Bが誤りである」と書きたかったのですが、考察を重ねた結果、どちらも誤りなのではないか?と思うようになりました。

まず、どちらを正面とするかの話ですが、「正面に!礼!」は主に選手に対しての号令ですので、選手の立場をどう考えるかによって正面の方向は変わるでしょう。

選手を観客と共に「観る立場」と考えるならば、その正面はステージになります。

選手を観客に「観られる立場」と考えるならば、その正面は国旗になります。

道場の場合は前者になります。
観客席に相当するのは見所であり、見所で稽古を観る者は観客ではなく、見学=見取り稽古をしている稽古参加者ですから、正面は竹刀を手に稽古している剣士達と同じ方向、すなわち師の立ち位置となる上座方向が正面になります。

つまり、試合は稽古の延長と考えるならば、前者になるのです。

ただし、その場合は正面以外の場所に国旗のような最上位のシンボルを置いてしまうと、上座と下座の関係に矛盾が生じてしまいますので、旗掲揚ポールに国旗を掲揚せずに、ステージ上に国旗を掲示すべきでしょう。

そうではなく、メジャースポーツのように、試合は剣道を知らない人も含めた観客に観戦してもらうものと考えるならば、後者になります。天覧相撲における土俵と正面2階貴賓席の位置関係などはその代表例でしょう。

ただし、試合中はさておき、開会式や閉会式では選手も観客と共に「観る側」になりますので、その正面はステージになります。なのに「正面に礼」との号令で選手を国旗に正対させるのはおかしな話であり、「国旗に礼」と号令すべきでしょう。


まとまりを欠き、皆様を迷宮に置き去りにしてしまいますけど、正解に至らないのでこのへんでお開きとします。A^^;

全剣連の指導により正面礼が実施されるようになって久しいのですが、その割に正面の定義が不明確であるがゆえの混乱ではないかと思うのです。

正面性を無視した位置に旗掲揚ポールがある場合も多々あり、うーん、それって建築設計上どうなの?と思うのと同時に、そのことが更なる混乱を招いている感じもいたします。

皆様はいかがお考えですか?




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