稀勢の里 引退

稀勢の里が初場所三日目の相撲を最後に引退することになりました。

インフルでうなされているうちに引退されてしまったこともありますが、なんかこう、寂しいとか、悲しいとか、泣くとか、そういった感情の起伏が自分の中に生じていないのが不思議に感じます。


初日の私(インフル発症前)、まだ希望を持ってました。

二日目の私、布団の中でゲホガホしながら稀勢の里の取組だけ観たのですが、あまりの内容に轟沈、その夜は高熱にうなされました。

三日目の私、クスリを処方されて少し落ち着けた中でやはり稀勢の里の取組だけ観たのですが、稀勢の里は”二日目と同じこと”をやって栃煌山に完敗。

”二日目と同じこと”というのは、立合前の仕切りです。
先に腰を降ろして相手力士から見下ろされ、先に手を着き立合の機を相手力士に任せてました。横綱の格を自らかなぐり捨てての特攻、それも空しく散ること2回。

あ、引退だな。横綱本人もそのつもりだな。と感じての粒が↓これ↓でした。

その翌朝の粒が↓こちら↓

といった感じでして、世間では決断が遅いのまだいけるだの言われる中、桜が散るが如くの自然なピリオドとして受け入れることはできてます。


私が稀勢の里を応援するきっかけとなったのは、彼が茨城県牛久市出身とする郷土力士だったからではありますが、郷土力士だからと応援するかといえばそんなこともないわけですよ。振り返りますと、やはり魅力あふれる力士でした。

右ハズ左おっつけの破壊力。これに尽きます。
これがハマると大関だろうと横綱だろうと吹っ飛ぶのですから痛快なんてもんじゃありませんでした。

新三役から新大関まで5年半、そこから初優勝新横綱まで5年、ともに焦れましたけれども、大関昇進を、初優勝を、横綱昇進を願い、信じて、応援し、待ち続けていれば、必ず応えてくれたのですから、焦れに焦れた日々も今となっては良き思い出です。

ご案内のとおりケガで途中休場を繰り返し、横綱としての勝率は5割と歴代最低を記録してしまいましたので、どこかの品の悪い夕刊紙が”最弱横綱”などと書きやがりましたけれども、あそこまで大きなケガさえしなければ立派な戦績を残せ得た横綱であることは揺るぎないことですし、相撲に対する姿勢や土俵態度は横綱に求められる形そのものでした。

引退会見での着物の着こなしをウチの母も褒めておりましたが、土俵の外までも含めた立ち振る舞い、勝っても負けても喜怒哀楽を顔に出さず、所作事も丁寧。塩までもその美学が垣間見えました。

力士の範たる横綱として立派に務めを果たしてくれました。
ありがとう。おつかれさまでした。掛ける言葉は他にありません。

重ね重ねになりますが、稀勢の里関、本当にありがとうございました。




今回の記事がご参考になりましたら応援クリックをお願いします。
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ

Comments (2)

  1. t-m

    第72代横綱・稀勢の里関、ついに現役引退と成ってしまい
    まいましたね…奇跡の復活はなりませんでした。
    稀勢の里の最大のライバルだった先輩横綱の白鵬と鶴竜は
    「寂しい」と惜しみ、幕内最多の66回も対戦した元大関・
    平幕の琴奨菊は「毎回稀勢の里とやるのが楽しみだった」
    と涙を浮かべ、最後の取組相手となった平幕の栃煌山も
    「何とも言えない」と複雑な心境を述べていました。

    稀勢の里の引退会見では「力士人生に一片の悔いは無い」
    と気丈に応えましたが、何度も相次いだ怪我の具合を
    聞かれると思わず涙を流し、「ケガをする前の自分に戻ることはできなかった」と語っていました。

    昨年九州場所を4連敗で休場し横審委員会から「激励」を決議。
    「2019年初場所は成績不振も休場も許されない」という
    余りにも厳し過ぎる意見に、稀勢の里は精神的にも肉体的
    にも相当追い詰められてしまった気がします。
    力士人生トータルでの稀勢の里は悔いなしも、やはり
    横綱昇進後は「横綱の責任を殆ど果たせなかった」事に
    後悔がかなり多いのは間違いない筈です。

    稀勢の里の大関時代は大多数が終盤まで優勝争いに加わり、
    いつ優勝するかを待ち望むも、あと一歩で優勝ならず…
    しかし2017年初場所で、やっと悲願の幕内初優勝。
    同時に横綱昇進も決まりましたが、私自身初優勝は
    嬉しかったのですが、横綱としては当時30歳の遅咲き
    も有り、正直かなり不安ばかりが募ってました。

    稀勢の里の十両・入幕・三役はまだ十代のスピード出世。
    しかし大関と横綱はかなり難儀してのスロー出世でした。
    もう少し稀勢の里が、大関・横綱昇進と、幕内初優勝が
    早くに達成していれば、名横綱に慣れたかもしれないと思うと…
    それにしても、本当に残念で寂しいの一言です。

    今後は暫くの間怪我の治療に専念して、心身共にゆっくりと
    休んで欲しいと思います。長い間、お疲れ様でした。

    「史上最弱横綱」稀勢の里を生んだ“機能不全”横審の大罪
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/245539

    Reply
    1. 甚之介 (Post author)

      悔しさも表に出さず、あれだけのケガも言い訳にしないのですよウチの横綱は。応援してきた者にとって、それが誇りです。

      Reply

t-m へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください